関門テレビ のすべての投稿

岩谷十三仏: 歴史と信仰が織りなす美しい石仏群

下関市豊浦町川棚中小野にある岩谷十三仏は、室町時代後期に造られた石仏群で、十三仏信仰と干支守護仏信仰が融合した貴重な史跡です。

岩谷十三仏の由来

解説板によると、大内義隆公が陶隆房(後の晴賢)に追われ、岩谷に隠棲していた際に、村人たちに助けを借りたお礼に「ばんばら楽」という巻物を残しました。

その後、大旱魃に見舞われた村人たちは、義隆公への供養と雨乞いのために、ばんばら楽を熊野神社に奉納したところ、たちまち大雨が降り、旱魃から救われたと言われています。

感謝の気持ちを抱いた村人たちは、義隆公の冥福を祈り、十三仏を造立しました。

十三仏とは

十三仏は、亡くなった方の初七日から三十三回忌まで十三回の追善供養を司る仏菩薩です。

それぞれのお仏には慈悲の心が宿り、極楽浄土への往生を願います。

岩谷十三仏の特徴

岩谷十三仏は、自然の岩肌に刻まれた石仏群で、高さは約1メートルから2メートルです。

風雨に削られながらも、穏やかで慈悲深い表情を浮かべており、見る者に深い感慨を与えます。

干支守護仏

十三仏のうち八尊は、干支の守護仏としても信仰されています。

自分の干支の守護仏にお参りすることで、幸運や健康を祈願することができます。

アクセス情報

  • 所在地:下関市豊浦町川棚中小野
  • 交通:
    • JR山陰本線 川棚温泉駅からバス13分「岩谷口」下車、徒歩20分
    • JR山陰本線 川棚温泉駅から車で10分
    • 小月I.Cから車で29分
  • 問い合わせ:豊浦町観光協会 083-774-1211

まとめ

岩谷十三仏は、歴史、信仰、自然が融合した美しい場所です。

静寂な空間に佇む石仏群は、見る者に深い安らぎを与えてくれます。

ぜひ、訪れてみてはいかがでしょうか。

下関の紅葉めぐり

華山・神上寺

種類:モミジ・イチョウ

 

IMG_0035.JPG

神上寺は、九州の彦山に修行した役小角が来て、この地の徳仙上人と力を合せて華山(げさん)に開かれたと伝えられる山岳霊場で、宝亀七年(776)に山の中程に御堂が建立されたという。

元弘二年(1332)に後醍醐天皇の命で御堂が麓に近い現在地に移されたので、下山(華山)と称されるようになった。

同寺は朝廷・諸将・藩主などからの祈願所とされた大寺で、最盛期には12坊が連なり「西の高野山」とも呼ばれていたが、2度の大火に遭遇したこともあり、今は中ノ坊だけが残されている。

 

IMG_0033.JPG

 境内には仁王門や無明橋、雪舟庭園の他、国重要文化財や県指定文化財も数多く指定されています。

 神上寺の紅葉はモミジ・イチョウが主であり、どれも巨木であるため見ごたえがあります。

 

IMG_0046.JPG

見ごろ

11月中旬〜12月上旬

 

所在地  下関市豊田町江良

交通   JR山陽本線小月駅からバス26分「石町」下車、徒歩25分

中国自動車道小月ICから24分

問い合わせ 神上寺 083-766-0286

 

 

東行庵

種類:かえで


IMG_0880.JPG

 この地は清水山(しみずやま)と称し、幕末の頃奇兵隊軍監山県狂介(有朋)は麓に草庵を建て無隣庵と名付けていた。

慶応三年(1867)四月、高杉晋作(東行)の遺言により遺骸を奇兵隊の本拠に近いこの地に葬った。(なお、「東行(とうぎょう)」とは晋作の号)。

晋作に仕えていた愛人うの(後に谷梅拠)は、黒髪を断って出家しその墓を守り菩提(ぼだい)を弔うようになったので、山県は明治二年(1869)無隣庵を梅処に贈り僧堂にあてていたが、明治17年に伊藤博文・山形有朋・井上馨等全国諸名士の寄付によって無隣庵の隣接地に、現在の東行庵が建立された。

梅処は明治四十二年にその生涯を閉じるまで東行の菩提を弔った。

 

IMG_0879.JPG

 近くには高杉晋作の記念館があるほか、早春には梅、初夏は菖蒲、秋は紅葉と折々の彩りに囲まれた史跡として親しまれています

 毎年行っているライトアップ。平成20年度も、11月1日から20日(予定)の18時から21時となっており、幻想的な紅葉をお楽しみいただけます。

 

IMG_0875.JPG

見ごろ

 11月上旬〜下旬

 

 所在地  下関市大字吉田1184

 交通   JR小月駅からバス14分「東行庵入り口」下車、徒歩10分

      小月 I.Cから車で9分

 問い合わせ 東行記念館 083-284-0211

 

覚苑寺

種類:かえで

 

IMG_0011.JPG

 元禄十一年(1698)長府毛利藩三代目藩主綱元(つなもと)が開基。中国福建省の人、宇治黄辟山万福寺七世悦山道宗禅師を招き、開山として創建したものである。

長府藩主の菩提所となり、綱元ほか二藩主の墓地がある。

付近一帯は和同開珎(わどうかいちん)の鋳銭所跡で、出土品は長府博物館に展示されている。

 

IMG_0014.JPG

境内には狩野芳崖(かのうほうがい)、乃木希典(のぎまれすけ)の銅像や和銅焼の窯元もあります。

 たくさんの楓の木があり、紅葉時期には大勢の観光客が訪れる紅葉の名所です。

 

IMG_0015.JPG

見ごろ

 11月上旬〜下旬

 

 所在地  下関市長府安養寺3-3-9

 交通   JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩15分

      JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩15分

 問い合わせ 覚苑寺 083-245-0649

 

 

 

長府毛利邸

種類:かえで・イチョウ

 

IMG_0072.JPG

 明治31年(1898)長府毛利家14代元敏(もととし)公によって起工され、明治36年(1903)に完成した邸宅で、大正8年(1919)まで本邸として使用された。

明治35年(1902)明治天皇が熊本で行われた陸軍大演習をご視察の際当邸を行在所(あんざいしょ・天皇行幸時の仮の宮)としても使用され、一部の部屋は当時のまま残されている。

 

IMG_0074.JPG

 外壁に囲まれた約3千坪の敷地の中には、苔、石、池、楓等を巧みに配した池泉回遊式純和風庭園が整備され、純和風庭園と紅葉とのコンビネーションが醸し出す素晴らしい秋の情景に心癒されることでしょう。

 邸内では給茶サービスもあります。

 

IMG_0069.JPG

見ごろ

 11月上旬〜下旬

 

 所在地  下関市長府惣社町4-10

 交通   JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩10分

      JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩10分

 問い合わせ 長府毛利邸 083-245-8090

 

 

 

 

功山寺

種類:かえで

 

IMG_0865.JPG

 旧名を谷の長福寺と称し、臨済宗であった。

嘉歴二年(1327)の創建で、足利氏、厚東氏、大内氏など武門の尊敬厚く、山門隆盛し無双の大寺院を誇った。

弘治二年(1556)四月四日、大内義長は毛利氏のために当寺の仏殿において自刃した。

この戦乱により一寺堂宇は荒廃したが、慶長七年(1602)、長府藩主初代毛利秀元はこれを修営し、寺領山林を寄進してその菩提所とし、再び旧観に復した。

安芸国廿日市洞雲寺開山金岡襟師を請じて中興の開山とし、曹洞宗に転宗した。

秀元の死後、慶安三年(1650)、公の霊位を安置し、世々毛利家の香華寺として、秀元の法号智門寺殿功山玄誉大居士にちなんで功山寺と改称した。

 

 元応二年(1320)建立の、唐様(からよう)建築の美しさを保つ仏殿は、典型的な鎌倉期禅宗様式として、国宝に指定されています。

 数々の歴史の舞台となったところで、幕末の三条実美らの五卿潜居(ごきょうせんきょ)や高杉晋作の挙兵の場所でもあります。

 初代秀元(ひでもと)をはじめ9人の藩主達の墓が仏殿裏にあります。

 毛利軍に敗れ、この地で自決した大内義長(よしなが)のものと言われている墓は、裏の墓地の奥まったところにあります。

 

IMG_0063.JPG

 紅葉の名所で、功山寺の紅葉の素晴らしさは、1本1本の楓(かえで)の木も非常に大きく、国宝である仏殿や山門に映える美しく色づいた紅葉が、秋の美を感じさせてくれることです。

また、周りの木々に取り囲まれているため、紅葉が意外と遅いことで知られています。

 

見ごろ

 11月中旬〜12月上旬

 

 所在地  下関市長府川端一丁目

 交通   JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩10分

      JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩10分

 問い合わせ 功山寺 083-245-0258

 

 

 

虚無僧墓: 酒好きの虚無僧が救った村娘と頭痛封じの伝説

下関市豊浦町川棚中小野にある虚無僧墓は、酒好きで村人から敬遠されていた虚無僧が、山賊から村娘を救い、頭痛封じの御利益があるとされる伝説的な墓です。

虚無僧と村娘

天保年間(1830〜1843)、尺八を吹いては酒ばかり飲んでいた虚無僧は、村人から敬遠されていました。

しかし、ある日、村の娘が山賊に襲われた時、命懸けで娘を救い出したのは、他ならぬこの虚無僧でした。

虚無僧の最期と遺言

弘化3年(1846)、虚無僧は脳病のため苦しみ、川棚川の河原で大きな岩に頭を二度三度ぶっつけて倒れました。

そして、「私の墓を建てて酒を供えてくれれば、あなたたちの苦しみを和らげてあげよう」と言い残して息を引き取りました。

頭痛封じの御利益

村人たちは、虚無僧が頭の痛みを和らげるために酒を飲んでいたことを知り、墓を建てて供養しました。

その後、虚無僧墓は頭痛封じの御利益があると評判になり、現在も多くの参拝者が訪れています。

アクセス情報

  • 所在地:下関市豊浦町川棚中小野
  • 交通:
    • JR山陰本線 川棚温泉駅からバス16分「虚無僧墓」下車、徒歩すぐ
    • JR山陰本線 川棚温泉駅から車で11分
    • 小月I.Cから車で30分
  • 問い合わせ:豊浦町観光協会 083-774-1211

小野小町の墓:美貌と哀愁の伝説

小野小町の墓は、全国各地に存在しますが、下関市豊浦町川棚にあるこの墓は、小町の晩年の流浪生活と哀愁漂う伝説を伝える貴重な場所です。

解説板の物語

解説板には、絶世の美女として名高い小町が、歳月とともに美貌が衰え、自尊心の強い彼女は老いさらばえた姿を見せまいと全国を流浪したと記されています。

晩年、小町は川棚の地で村人たちの温かさに触れ、愛用の銅鏡を片時も離さず、失われていく美貌に無常を感じながらひっそりと暮らし、この地で果てたと伝えられています。

小野小町ゆかりの地

小野小町ゆかりの地は全国28都道府県以上に存在し、ここ小野という地名も小町に由来すると言われています。

墓石の中央にはめ込まれた丸い銅鏡は、小町が肌身離さず持っていたもので、彼女の美貌と哀愁を象徴する存在となっています。

百人一首にも詠まれた美貌

小町の美貌は、百人一首にも選ばれた「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」の歌からも窺えます。

この歌は、花が色あせていくように、自分も年老いていく姿に嘆きを感じているという内容です。

小野小町の生涯

小野小町の生誕地については諸説ありますが、現在の秋田県湯沢市小野が有力とされています。

晩年も同地で過ごしたとする地域の言い伝えも残されていますが、京都市山科区小野で過ごしたとする説もあり、真相は謎に包まれています。

アクセス情報

  • 所在地:下関市豊浦町川棚中小野
  • 交通:
    • JR山陰本線 川棚温泉駅からバス16分「虚無僧墓」下車、徒歩すぐ
    • JR山陰本線 川棚温泉駅から車で11分
    • 小月I.Cから車で30分
  • 問い合わせ:豊浦町観光協会 083-774-1211

まとめ

小野小町の墓は、美貌と哀愁の伝説を伝える貴重な史跡です。

小町の晩年の流浪生活や、失われていく美貌への無常観を感じながら過ごした様子を想像すると、感慨深いものがあります。

ぜひ、この地に足を運んで、小野小町の伝説に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

雲雀毛(ひばりげ)の名馬: 伝説と史跡が織りなす壮大な物語

下関市豊浦町川棚下小野にある「霊馬の森」は、大内義隆公の愛馬「雲雀毛」が眠る史跡です。

誕生と母馬との別れ

天文十二年(1543)春、御崎山の牧場で生まれた雲雀毛は、まだ幼い頃に母馬を失います。

母馬を求めて海を渡り、岩山をかけめぐる雲雀毛の姿は、見る者を驚嘆させました。

名馬の名声と生け捕り

その噂は防長二州の領主大内義隆公の耳に届き、家臣たちは雲雀毛を生け捕りにしようと試みます。

しかし、荒馬である雲雀毛は容易に捕らえることができず、金田三郎乗貞がその大力でようやく生け捕りに成功しました。

義隆公の愛馬として

調練された雲雀毛は、義隆公の愛馬として常にそばに仕えました。

しかし、天文二十年(1551)に陶晴賢の謀反によって山口落城が起こり、義隆公は各地に転戦することになります。

最期と霊馬の森

八ヶ浜に陣取った黒井判官為長も敗戦し、残兵は川棚ヶ原で戦い、芦山の麓で悉く討死しました。

義隆公の乗馬もこの戦いで深い傷を受け、命を落としました。

義隆公は愛馬の死を深く悲しみ、金森左近等の武将によって鬱蒼たる大樹の下に埋葬されました。

千年余の巨木と霊馬の伝説

この大樹は樹齢千年余りと言われる樟であり、大正11年(1922)に史蹟名勝天然記念物に指定されました。

この森は「霊馬の森」と呼ばれ、毎年3月28日には慰霊祭が行われています。

山頭火の句碑と史跡へのアクセス

森には山頭火の句碑も建立されており、義隆公が隠棲した岩谷ヶ浴八丈岩などの史跡も残されています。

アクセス情報

  • 所在地:下関市豊浦町川棚下小野
  • 交通:
    • JR山陰本線 川棚温泉駅からバス11分「浜井場」下車、徒歩6分
    • JR山陰本線 川棚温泉駅から車で8分
    • 小月I.Cから車で26分
  • 問い合わせ:豊浦町観光協会 083-774-1211

歴史ロマン体感!朝鮮通信使:江戸時代の外交と文化交流

江戸時代の外交と文化交流を担った朝鮮通信使

朝鮮通信使は、江戸時代を通して朝鮮王朝から12回派遣された外交使節団です。将軍の代替わりや世継ぎの誕生を祝賀するために来日し、文化や技術の交流も行いました。

下関市:朝鮮通信使の重要な通過点

朝鮮通信使は、釜山から海路で対馬に渡り、馬関(現在の下関市)を経て瀬戸内海を航行し、江戸へ向かいました。下関市は、朝鮮通信使にとって重要な通過点であり、当時の様子を伝える資料や史跡が数多く残されています。

馬関まつり:朝鮮通信使行列を再現

毎年8月23日に開催される「馬関まつり」では、朝鮮通信使行列が再現されます。華やかな衣装をまとった行列は、当時の様子を彷彿とさせ、多くの観光客を楽しませています。

アクセス

項目内容
所在地山口県下関市唐戸町6-1
交通JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩2分
問い合わせ下関市観光振興課:083-231-1350

鬼の伝説が息づく神秘の奇岩!角島の「鬼の岩」

鬼の岩伝説:鬼たちの壮大な挑戦と神様のいたずら

下関市豊北町角島の海岸にそびえる「鬼の岩」は、その名の通り、鬼が投げたとされる奇岩です。この岩には、古くから語り継がれる壮大な伝説が残されています。

昔々、島戸の高坪山に住んでいた鬼たちは、村人たちを困らせていました。困り果てた村人たちは、住吉大神に相談します。大神は鬼たちと賭けをします。

「一晩のうちに島戸と角島の間の海を陸続きにすることができたら、何でも望みのものをやろう。じゃが、できなかったら山から追放するぞ。」

鬼たちは喜んで挑戦を始めます。夜通し岩を海に投げ込み、海はみるみるうちに陸地へと変わっていきます。

しかし、夜明けが近づき、あと少しで完成というところで、大神は鶏の鳴き声を真似します。

「しまった!もう夜が明けてしまった。」

鬼たちは力尽き、その場に座り込んでしまいます。

角島に眠る鬼の痕跡:鬼の岩へのアクセスと見どころ

鬼が投げたといわれる「鬼の岩」は、角島小学校近くにあります。岩には鬼の手形が残っているとされ、その迫力に圧倒されます。

アクセス

  • JR山陰本線 特牛駅から角島行バス21分「学校横」下車、徒歩5分
  • 小月I.Cから車で71分
  • 下関I.Cから車で80分

周辺の観光スポット

  • 角島大橋:日本海に浮かぶ美しい橋
  • 海士ヶ瀬:干潮時に現れる神秘的な道
  • 角島灯台:歴史ある灯台
  • めのうロード:美しいめのうが拾える海岸

まとめ

「鬼の岩」は、角島の自然と歴史、そして伝説が融合した魅力的なスポットです。鬼の力強さ、神様のいたずら、そして美しい景色を体感しに、ぜひ角島を訪れてみてはいかがでしょうか。

アクセス

交通手段所要時間詳細
JR山陰本線 特牛駅21分角島行バスに乗車、「学校横」下車
小月I.C71分車で角島大橋方面へ
下関I.C80分車で角島大橋方面へ

耳なし芳一:壇ノ浦の怨念と琵琶に秘められた物語

下関市にある赤間神宮は、壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る神社として知られています。その境内にある芳一堂は、小泉八雲の怪談「耳なし芳一」の舞台となった場所として有名です。

芳一:平家の怨念に翻弄された盲目の琵琶法師

芳一は、赤間神宮近くの阿弥陀寺に住む盲目の琵琶法師です。その優れた技量は評判を呼び、毎晩のように平家物語を語り、琵琶を奏でていました。

ある夜、芳一は謎の人物に招かれ、壇ノ浦の戦いで亡くなった平家の亡霊たちの前で琵琶を演奏することになります。美しい音色に魅了された亡霊たちは、芳一の両耳を奪い、彼を自らの世界へと引きずり込もうとします。

赤間神宮:壇ノ浦の戦いの舞台、そして芳一伝説の起源

赤間神宮は、壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る神社です。この戦いで平家一門は滅亡し、その怨念は語り継がれています。芳一伝説は、こうした歴史的背景と結びついて、より深い意味を持つ物語へと昇華しました。

琵琶の音色:死者を呼び覚ます、冥府への誘い

琵琶は、古来より死者を呼び覚ます力を持つと信じられていました。芳一の奏でる琵琶の音色は、平家の亡霊たちの魂を呼び起こし、彼らを現世へと導く役割を果たしました。

平家物語:悲劇の戦いの記憶、語り継がれる怨念

平家物語は、壇ノ浦の戦いを題材とした軍記物語です。悲劇的な結末を迎えた平家一門の怨念は、物語の中で生き続け、人々に語り継がれています。芳一伝説は、こうした平家物語の怨念を象徴する物語として解釈することができます。

小泉八雲:怪談に込められた、死と生の境界線

小泉八雲は、日本文化に魅了されたイギリス人作家です。彼は、日本の民話や怪談を英語で紹介し、西洋に日本の文化を広める役割を果たしました。

「耳なし芳一」は、小泉八雲の怪談の中でも特に有名な作品です。この作品は、死と生の境界線、そして人間の持つ業の深さを描いた物語として、多くの人々に読み継がれています。

アクセス:

  • 所在地: 山口県下関市阿弥陀寺町4-1
  • 交通: JR下関駅からバス9分「赤間神宮前」下車、すぐ
  • 問い合わせ: 赤間神宮 083-231-4138

吉田河川公園(木屋川ラブリーパーク)

IMG_0039.JPG

 瀬戸内海にそそぐ木屋川が、吉田大橋の下で大きく曲がったところに広い河川敷にあり、敷地を整備して芝生広場や遊具が備えられ、川堰から、魚の遡上を助けるために設けられた川沿いの石造りの小川は水遊びも楽しめます。

 毎年7月最終土曜日には「吉田川祭り」が催され、灯籠流しや花火大会でにぎわいます。

 シーズンには釣り・ ハイキング・行楽にと多くの人が訪れています。

 

所在地  下関市大字吉田

交通   JR小月駅からバス11分「肥田」下車、徒歩3分

問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350

 

 

東行記念館

 

IMG_0172.JPG
晋作の遺品、遺墨、吉田松陰の獄中書簡、奇兵隊旗などの史料数百点を収蔵・展示しています。

昭和41年高杉東行(晋作)百年祭を記念した事業として東行庵のそばに建てられました。

 

所在地  下関市大字吉田1184

交通   JR小月駅からバス14分「東行庵入口」下車、徒歩10分

問い合わせ 東行記念館 083-284-0211