天文十二年(1543)の春、御崎山の 牧場より雲雀毛(ひばりげ)の名馬は、出生後日も浅く母馬死亡す。
飢と乳の恋しさに牧場をかけめぐれども母馬の姿無く波打ち際に立ちて恋しくいななけば、その時遙か海の彼方の蓋井島にこだまして聞こゆるに 母馬彼処(あしこ)にありと思いけん、忽ち海中に飛び入り死力を尽して泳ぎ渡り島中かけめぐれども母馬の姿見えず、又悲しくいななけば其の声御崎山に響くを聞き又海中に飛び入りて泳ぎ帰る。
斯(か)くして風雨も激浪も物かわ二浬(3,704メートル)の海を押し渡り泳ぎ帰るに、日を経るに従いついに自得したる水泳の術素晴しく見る里人も驚嘆したりと。
斯くの如く海を渡り岩山をかけめぐるに、蹄(ひづめ)はくろがねの如く体格又大にて名馬出ずとの声四方に高まりぬ。
此の事、山口居城防長二州の領主大内義隆公の聞くところとなり家臣の地方郷士に生虜を命ぜられたり。
於茲(ここにおいて)青山の城主黒井判官為長、石堂山の城主豊川左近安延、茶臼山の城主永富下総貞恒、芦山の城主金田三郎乗貞、鯖釣山の城主石川左衛尉政近等力を尽くして生虜らんとせしが荒馬(あらうま)にて手に負えず。
此の時金田三郎乗貞大力勇将にして漸く(ようやく)生虜る事を得て義隆公に献ず。
其の功によりて黄金十枚と新地三百石を賜りぬ。
後日調練せられたる此の名馬は、常に義隆公の乗馬として愛されたり。
然る処天文20年(1551)義隆公は、家臣の陶晴賢にはい叛せられ山口落城。
陶の軍勢に急追せられて各地に転戦す。
八ヶ浜に陣取りし黒井判官為長も敗戦して青山落城、殘兵退きて川棚ヶ原にて戦い又敗れ芦山の麓にて悉く討死せり。
義隆公の乗馬も此の時深い傷を受けて斃れる。
義隆公哀借の情に堪えず、されば金森左近等の武将によりて其の頃鬱蒼たる大樹たりし樟の木の下に運びて此の名馬を埋めたり。
当の大樟樹は大昔から存在するもので樹齢はおよそ千年余です。
樹幹の周囲(約11メートル)
樹の高さ (約21メートル)
樹枝の最長(約27メートル)
大正11年(1922)10月12日史蹟名勝天然記念物に指定されました。
この森に大内義隆公の愛馬を祀ったことから霊馬の森と言います。
後年地方の里人より名馬の霊を弔う為毎年3月28日慰霊祭を行います。
「大楠の枝から枝へ青あらし」
そばには山頭火の句碑が、昭和58年(1983)に建立されています。
義隆公は暫らく川棚小野岩谷ヶ浴八丈岩に隠棲せられた事跡があります。
豊浦町の「天然記念物樟の森」解説板による。
所在地 下関市豊浦町川棚下小野
交通 JR山陰本線 川棚温泉駅からバス11分「浜井場」下車、徒歩6分
JR山陰本線 川棚温泉駅から車で8分
小月 I.Cから車で26分
問い合わせ 豊浦町観光協会 083-774-1211