日頼寺

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極楽寺と呼ばれていましたが、天正年間、毛利元就の四男元清(毛利秀元の父)が父の位牌を安置し、元就の法号「日頼洞春」にちなみ「日頼寺」と改称し、元就の菩提寺としました。

 この日頼寺の境内には、宮内庁の管轄地となっている「仲哀天皇殯歛の地」という一画があります。

 仲哀8年(199)1月に穴門の豊浦宮から、筑紫の橿日宮に移った仲哀天皇は、神がかりした神功皇后に伝えられた神託を信じず、熊襲討伐を強行しましたが成功せず翌9年(200)2月に亡くなられました。

 皇后は大臣武内宿禰に天皇の遺体をひそかに豊浦宮にはこばせ、そこで壇の上という所に祭壇をつくり殯を行い、この地に仮埋葬したという塚が現在でも残されていいます。

 

 所在地  下関市長府侍町1丁目10-1

 交通   JR長府駅からバス9分「松原」下車、徒歩5分

      JR下関駅からバス21分「松原」下車、徒歩5分

 問い合わせ 日頼寺 083-245-0384