慶応4年(1868)3月の排佛棄釈によって廃寺となった、阿弥陀寺の方丈跡を近くの眼科医・藤野玄洋が買い取り、明治10年(1877)に月波楼医院を開業しました。
その後、妻のミチはこれを改造して割烹を兼ねた旅館として開業し、三棟あった店を、向かって右から月波楼、春帆楼、風月楼と呼んでいました。
その中の春帆楼という名称は、伊藤博文が名付けたものだそうです。
明治21年(1888)時の総理大臣・伊藤博文が、春帆楼でふく料理を食したのを契機に、豊臣秀吉によって出されいた「フグ食用禁止令」は解かれ、「ふぐ料理」の公許第1号店となりました。
明治28年(1895)3月20日から4月17日まで下関の「春帆楼」で、清国講和全権大臣・李鴻章と日本全権弁理大臣・伊藤博文を主軸とする両国代表11名によって、日清講和会議が行われました。
所在地 下関市阿弥陀寺町4-2
交通 JR下関駅からバス9分「赤間神宮前」下車、徒歩2分
問い合わせ 春帆楼 083-223-7181