下関市環境センター奥山工場で発生するごみ焼却余熱を利用して、年間を通じて利用できる温水プール(50メ−トルプール、25メートルプール、幼児用プール)、普通湯・寝湯・薬湯・露天風呂・サウナまで備えた大浴場やふれあいホール、健康増進室、レストラン等がそろっています。
屋外施設としてゲートボール場、テニスコートなどもあります。
所在地 下関市大字井田、大字小野
交通 JR新下関駅からバス16分「ヘルシーランド下関」下車、すぐ
問い合わせ ヘルシーランド下関 083-256-6926
下関市環境センター奥山工場で発生するごみ焼却余熱を利用して、年間を通じて利用できる温水プール(50メ−トルプール、25メートルプール、幼児用プール)、普通湯・寝湯・薬湯・露天風呂・サウナまで備えた大浴場やふれあいホール、健康増進室、レストラン等がそろっています。
屋外施設としてゲートボール場、テニスコートなどもあります。
所在地 下関市大字井田、大字小野
交通 JR新下関駅からバス16分「ヘルシーランド下関」下車、すぐ
問い合わせ ヘルシーランド下関 083-256-6926
下関市の水源地のひとつで、取水塔など、明治末期から昭和初期にかけて造られた上水道施設がいまでも稼働しています。
下関では、明治24年(1891)に議会の承認を受けて上水道の建設調査に取りかかりました。
内務省の技師でイギリス人のウイリアム・K・バルトンは調査の結果、上水道の水源地として当時の豊浦郡内日村の一ノ瀬が最適地であると報告しましたが、その後、日清戦争の影響などで、明治34年(1901)にようやく着工され、4年間をかけた貯水池工事と家庭配水工事を完了し、明治39年(1906)1月1日に待望の給水を開始しました。
時代と共に、その都市規模を拡大するに従い、水需要も多様化し増加したため、内日貯水池からさらに500mほど上流に第二貯水池を築造することとなり、大正14年(1925)に着工、昭和4年(1929)に完成しました。
所在地 下関市内日町
交通 JR新下関駅からバス20分「一之瀬」下車、すぐ
問い合わせ下関 市観光振興課 083-231-1350
下関市綾羅木本町にある中山神社・愛新覚羅社は、幕末の風雲児・中山忠光と、清朝最後の皇帝溥儀の弟・愛新覚羅溥傑夫妻を祀る神社です。歴史と文化が息づくこの聖地は、訪れる者に深い感動を与えてくれます。
中山神社
中山神社は、明治維新の先駆者として活躍した中山忠光を祭神とする神社です。忠光は、明治天皇の叔父であり、公卿として活躍しながらも、尊王攘夷運動に身を投じました。
しかし、元治元年(1864年)、長州藩の俗論党によって暗殺されてしまいます。
中山神社は、忠光の遺志を継ぎ、明治維新の精神を後世に伝えるために建立されました。
愛新覚羅社
愛新覚羅社は、中山神社境内に建立された神社で、清朝最後の皇帝溥儀の弟・愛新覚羅溥傑と、その妻で中山忠光の曾孫である浩、そして二人の長女・慧生を祀っています。
愛新覚羅社は、日中両国の歴史と文化を繋ぐ貴重な存在です。
アクセス情報
中山神社・愛新覚羅社を訪れる
中山神社・愛新覚羅社は、歴史と文化、そして自然が融合した美しい場所です。
境内を散策すれば、幕末の志士たちの熱き思いや、日中両国の複雑な歴史を感じることができるでしょう。
ぜひ、中山神社・愛新覚羅社を訪れて、歴史の深さに触れてみてはいかがでしょうか。
西日本屈指の弥生遺跡として知られる綾羅木郷遺跡に隣接し、弥生時代にこの地で始まった農耕文化や土器・石器の展示をはじめ、竪穴式住居の再現など、古代の状況がわかる仕組みになっています。
中国や朝鮮半島との交流を示す資料なども分かりやすく展示しています。
博物館そばには前方後円墳の若宮古墳や岩谷古墳もあり、社会科見学のスポットとしても利用されています。
所在地 下関市大字綾羅木字岡
交通 JR山陰本線 梶栗郷台地駅から徒歩5分
下関 I.Cから車で9分
問い合わせ 下関市立考古博物館? 083-254-3061
綾羅木郷遺跡は、平野の中心に広がる丘稜の全面が 弥生時代の遺跡です。
発掘調査によって、台地の東部地域には竪穴住居跡や埋葬遺構が発見され、台地の中央部から西側は弥生時代前期に特徴的にみられる、多数の袋状竪穴群や弥生時代中・後期の溝などが発見されています。
古墳時代(ほぼ3世紀末から7世紀)の住所跡も存在しています。台地の西北の端には箱式石棺を主体とする、前方部が低く平らな前方後円墳もあります。
遺物として、弥生時代前期前半の土器や多くの石器などが発見されています。
所在地 下関市大字綾羅木字岡
交通 JR山陰本線 梶栗郷台地駅から徒歩3分
問い合わせ 下関市立考古博物館 083-254-3061
大正2年(1913)長州鉄道(現在のJR西日本旅客鉄道)が鉄道敷設工事の際に箱式石棺が出土しました。
発掘調査によって、ここから多鈕細文鏡や細形銅剣、土器などが出土しましたが、そのうちの青銅器は、我が国の遺跡から発見された例が少ない、朝鮮古代のものであることがわかりました。
この遺跡は、発掘された石棺の外に据えられた弥生土器の年代から、弥生時代前期末の墓地とみられていましたが、その後の学術調査によって、これら石棺の北側に弥生時代中期の土器をもつ墓が発見されて、この遺跡は南から北に向かって、墓地が順次広がっていったものであることがわっています。
所在地 下関市梶栗町4丁目
交通 JR山陰本線 梶栗郷台地駅から徒歩5分
問い合わせ 市観光振興課 083-231-1350
竜王山(614m)のふもと、大正時代にかんがい用水池として作られた深坂の溜池を中心に、約250haの広大な森の中に、キャンプ場、林間歩道や渓流、芝生広場,展望台、 研修施設森の家などの自然公園が整備されて緑の中でのびのびと過ごせます。
所在地 下関市大字蒲生野深坂
交通 JR新下関駅から長安線バス8分「蒲生野(かもの)」下車、徒歩43分
JR新下関駅から車で10分?
下関 I.Cから車で15分
問い合わせ 森の家下関 083-259-8555
花や野菜、緑化用樹、果樹などを展示栽培して来園者の観賞に供したり、園芸講習会なども開催しています。
園内には、ニュートンのリンゴの木も植樹されており、案内板に「1643年イギリス、リンカーン州グランサム近郊のウールスソープに生まれた、物理学者ニュートンが少年時代庭のリンゴの果実が落ちる姿をみて、何故だろうと疑問をいだき、これが後の万有引力の法則を発見するヒントになったようです。
そのリンゴの枝が昭和39年に小石川の東大付属植物園に贈られ更に増殖され、広島市に送られたものを当、園芸センターに分けてもらったものです。」と記されています。
特に、春と秋に見ごろを迎えるバラ園は見事で、大勢の見物者でにぎわいます。
所在地 下関市富任町 5-7-1
交通 JR山陰本線 安岡駅から徒歩15分
長安線バス「安岡駅前』から5分「園芸センター前」下車、すぐ
北浦線バス「富任口」下車、徒歩10分
問い合わせ 下関市園芸センター 083-258-0147
山陰の眺めの素晴らしい海岸から200mの沖合いに、長さ100mの釣りデッキ(平均水深約10m)が整備されています。
貸し竿やエサも置いてありますので、誰でも気軽に釣りが楽しめます。
釣れる主な魚種はチヌ、小ダイ、カサゴ、ベラ、キス、カレイ、サバ、メバル、コノシロ、アブラメ、カワハギ、ヒラメ、小アジ、イワシ、サンバソウ、ボラ、タナゴ、スズキ などです。
所在地 下関市吉見古宿町10番1号
交通 JR山陰本線 吉見(よしみ)駅から徒歩10分
下関 I.Cから車で20分
マイカー駐車場あり(80台)
問い合わせ 下関フィッシングパーク 083-286-5210
吉見の沖合約6km、響灘に浮かぶ漁業を中心とした島です。
島の伝統行事として、島の集落の北東方の「山ノ神」の森で、7年目毎の陰暦11月15日前後の4日間催される「山ノ神神事」は、先祖の神霊(山ノ神)を里の収穫祭に迎え、子孫の人々といっしょに、その年の新しい穀物などを神に捧げる「相嘗祭り」をした後、再び、神霊を森に送り帰すという神事ではないかと考えられており、我が国古来の神事の型を伝えるものとして、非常に貴重なものとされています。
この神事は、下関市の無形民俗文化財に指定されています。
島の周囲には険しい岩石海岸が続き、日本海の荒波で侵食され「岩門」と名付けられた洞窟など奇岩が多く見られます。また、周辺海域は海産物の宝庫で、アワビ、サザエ、ウニなどの海の幸が豊富に採れます。
島内には民宿もあります。
所在地 下関市蓋井島
交通 JR山陰本線 吉見駅から吉見港「連絡船乗場」まで徒歩で、5分
吉見港から蓋井島行き連絡船で35分
問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350
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