下関市日和山にある日和山公園は、桜の名所として知られるとともに、幕末の志士・高杉晋作の陶像が立っていることで有名です。
高杉晋作の陶像
昭和11年に建てられた高杉晋作の銅像は、第二次世界大戦の金属供出で失われてしまいました。
しかし、没後90年を記念して昭和31年(1956)に備前焼の陶像が再建されました。
この陶像は、高杉晋作の力強い表情と凛々しい姿を見事に表現しており、日和山公園のシンボルとなっています。
桜の名所
日和山公園は、春の桜の名所としても知られています。
約400本の桜が咲き誇り、高杉晋作の陶像を取り囲むように美しい景色を演出します。
夜にはライトアップも行われ、昼間とは違った幻想的な雰囲気を楽しむことができます。
アクセス情報
- 所在地:下関市日和山
- 交通:
- JR下関駅からバス2分「細江町」下車、徒歩8分
- 下関 I.Cから車で15分
- 問い合わせ:下関市公園緑地課 083-231-1933
下関市豊前田にある「東光寺」は、高杉晋作率いる奇兵隊が功山寺挙兵後の本陣を置いたことで知られる歴史的な寺院です。
元治元年(1864年)、高杉晋作らは長州藩の改革を目的として功山寺で挙兵し、新地会所を襲撃しました。その後、了円寺に立てこもったものの、合流する同志たちで手狭になったため、本陣を東光寺に移しました。
東光寺は、高台にあり、下関市街を一望できる絶景スポットとしても有名です。高杉晋作は、この寺で戦略を練り、長州藩の未来を語り合ったことでしょう。
アクセス
所在地 山口県下関市豊前田1丁目1-23
交通 JR下関駅から徒歩9分
問い合わせ 東光寺 083-222-2153
韓国・釜山と国際航路で結ばれている下関らしい商店街で、フェリーを利用して訪れる韓国人バイヤーや観光客も行き交い、歩いているとハングルでの会話も耳にすることがあります。
JR下関駅北に位置する「グリーンモール商店街」には焼肉や本場の食材を扱う店、チマチョゴリ専門店など、200軒以上の商店が軒を連ね“リトルコリア”を思わせる通りです。
毎年11月23日(祝)には、リトル釜山フェスタを開催しています。
所在地 下関市グリーンモール商店街
交通 JR下関駅から徒歩2分
問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350
慶応元年(1864)長州藩内の保守派との抗争に勝利して藩権力を掌握した高杉晋作は、長州藩の武備を充実するため、下関開港に奔走します。
下関の大半は支藩の長府藩領であり、その実現のためには、本藩(萩藩)領との換地を必要としましたが、開港や換地に反対する勢力から命を狙われるようになり、潜伏生活を送ることになりました。
ある日、長府藩士らの夜襲をうけた晋作が、丸一日身を隠した井戸として伝えられています。(個人の敷地内ですのでご注意を)
所在地 下関市伊崎町1丁目
交通 JR下関駅から徒歩7分
問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350
寿永4年(1185)3月24日源平船合戦において、平家一門と壇ノ浦で入水した安徳天皇のご遺体がこの小門(おど)海峡に流れ着き、中島家によって引き上げられ密かに葬られた場所と伝えられています。
この小門の地は、先帝祭御神幸祭お旅所として「先帝祭上臈参拝」の翌日(5月4日)、赤間神宮から御鳳輦(ごほうれん)を奉じて行列し祭事が行われます。
古代衣装を着飾った崇敬会員や稚児らが奉仕されます。
所在地 下関市伊崎町2-9-21
交通 JR下関駅からバス2分「竹崎」下車、徒歩10分
JR下関駅から徒歩15分
問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350
萩本藩の出先機関だったところで、厳島神社参道の横に碑が建立されています。
藩政改革を唱える高杉晋作は、元治元年(1864)12月15日、長府功山寺で挙兵した後、最初に新地会所を襲撃したことで知られています。
所在地 下関市上新地町1丁目 厳島神社入り口横
交通 JR下関駅から高尾線バス4分「厳島神社前」下車、すぐ
JR下関駅から徒歩11分
問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350
平家一門が安芸国の厳島神社の分霊をいただき、守護神として船中に安置していましたが、壇之浦の合戦後磯辺に放置されていたものを、長府村の里人がお告げによりこれを発見して、現在の所に祭ったと伝えられています。
寿永4年(1185)に社殿を建立し、更に安芸国の厳島神社から分霊を勧請しました。
慶応2年(1866)小倉戦争に勝った戦利品として、奇兵隊が小倉城から持ち帰った大太鼓は長府藩主に献じられ、のちさらに厳島神社へ奉納されたもので、今も太鼓堂に吊り下げられています。
所在地 下関市上新地町1丁目1-11
交通 JR下関駅からバス4分「厳島神社前」下車、すぐ
JR下関駅から徒歩11分
問い合わせ 厳島神社 083-232-1138
慶応2年(1866)6月に始まった四境戦争(第二次長州征伐)では、奇兵隊などの諸隊を率い幕府軍を小倉口で撃退しましたが、既に病に冒されており、9月突然多量の喀血をみて10月に職を解かれ、療養に専念することになりました。
病状が進み白石宅から、桜山神社の近くに小さな家を建てて移り、野村望東尼、愛人おうのの看病による療養生活を送りました。
この家を東行庵とも捫蝨処とも称したと言われています。
所在地 下関市桜山町
交通 JR下関駅から高尾線バス4分「厳島神社前」下車、徒歩3分
問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350
桜山神社招魂場は文久4年(1864)1月、晋作の発議で新地岡の原(通称桜山)に創建されたもので、慶応元年(1865)8月には社殿も造営され鎮座祭が行われました。
かつてこの地は奇兵隊の調練場でもあったところで、創建当初は文久3年の下関攘夷戦で戦死した奇兵隊士の霊を弔うものであったが、後に四境・戊辰の役の戦死者や、長州の尊皇討幕運動に輝かしい名をとどめた吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、さらには山県有朋らの霊も加えられた。
本殿裏には396柱の霊標が整然とならび、中央の吉田松陰のものがやや高く、両側には高杉晋作、久坂玄端が並び、士庶の別なく同じ高さである。側面に奇兵隊の役職や没年を刻んだものや、ただ名前だけの霊標もあり、維新に散った志士たちがまつられています。
所在地 下関市上新地町 2-6-22
交通 JR下関駅からバス5分「厚生病院前」下車、徒歩5分
問い合わせ 桜山神社 083-222-6735
天和3年(1683)西祐の開基。現在地よりも後方の山のふもとに、畠山重忠の孫、法名了円というものが、既に創建していたものであると伝えられている。
元治元年(1864)12月15日、長府功山寺で決起した高杉晋作たちが、新地会所を襲撃したあと、暫くの間たてこもったお寺です。
本堂の柱には、挙兵軍の兵士たちがつけた刀傷が今でも残っています。
所在地 下関市大平町10-20
交通 JR下関駅からバス6分「了円寺」下車、徒歩2分
問い合わせ 了円寺 083-222-0783
関門の名所やお祭りなどを映像と写真で紹介しています。
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