法専寺と首切六地蔵

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奇兵隊の陣屋ができるまで、奇兵隊の駐屯所のひとつとして使用されたお寺です。

 寛文4年(1664)、領主山内広通の室、帰命院が開基となり、霊誉上人を開山とし、寺号を改めて法専寺としました。

 

 本尊の阿弥陀如来は、長野善光寺如来をうつしたものといわれ、帰命院がある老僧から譲り受けた秘仏で、二十年ごとに御開帳されます。

 

 境内には、享保17年(1732)大飢饉の餓死者を供養する餓死魂の碑(千人塚)や「首切り地蔵」といわれる六体の地蔵が並んでいます。

 

 言い伝えによれば、維新の頃、松林寺に陣をはっていた少年隊の隊長、鳥尾小弥太が「我が国は、神国であるにもかかわらず、仏教が年に盛んになって、石地蔵までが氾濫しているのはけしからん、君たちに勇気があれば、首をはねてこい」と命令しました。隊員は、これにより六体の地蔵の首を切り落としたということです。

 

 今は、その首の中心に鉄棒を打ち込み、セメントで首をつないでいるそうです。

 また山手の墓地には、小倉戦争で戦死した奇兵隊士八名の墓があります。

 

 所在地  下関市大字吉田地方吉田五区埴生口

 交通   JR小月駅からバス16分「宗地」下車、徒歩20分

 問い合わせ 法専寺 083-284-0754