慶長5年(1600)10月10日関ケ原の役で西軍に付いた毛利氏が、防長2国に減封され長府に支藩をおいた際に、36,200石の初代長府藩主となった毛利秀元が同年11月2日櫛崎を居城と定めました。
古くは、西の海に勢力を誇っていた藤原純友の配下の稲村影家がつくったともいわれ、その起源は大変古いといえます。大内氏の時代には、内藤隆春がこの城にいました。
江戸幕府の出した元和元年(1615)閏6月13日の一国一城令によって、山口高嶺城、岩国横山城と共に櫛崎城の城郭が取り壊されました。
現在は、旧城内にも人家が建ち、石垣や城内の土塀、井戸の跡、櫓門跡などからはわずかに当時の面影をしのぶことができます。
海に近い高台は、関見台公園として整備され、とおく豊後水道や関門海峡を見渡すことができ、櫛崎城への海からの入り口であった「御舟手」の海岸へも降りることができます。
所在地 下関市長府外浦町1番
交通 JR長府駅からバス9分「松原」下車、徒歩7分
JR下関駅からバス21分「松原」下車、徒歩7分
問い合わせ 長府観光会館 083-246-1120