【下関】二見浦「夫婦岩」の龍伝説!海に立つ絶景と注連縄の神事

下関市豊北町の美しい海岸線、二見浦(ふたみうら)。

国道191号線を走っていると、海の中に寄り添うように立つ二つの岩が見えてきます。

それは「夫婦岩(めおといわ)」。

固い絆で結ばれた男岩と女岩の間には、大しめ縄が渡されています。

実はここ、ただの景勝地ではありません。「龍が通る道」という神秘的な伝説が残るパワースポットなのです。

今回は、新春の伝統行事としても知られる夫婦岩の伝説と、迫力の注連縄張りについてご紹介します!


🐉 嵐の日に龍が通る?神秘の伝説

この夫婦岩には、古くから伝わる不思議な言い伝えがあります。

二見浦の背後にある「馬路山」に棲む龍が、台風で海が大時化(おおしけ)になる日、この夫婦岩の間を通って、沖合にある壁島の「龍権社(りゅうごんしゃ)」へお参りに行くといわれているのです。

荒れ狂う海の中で、夫婦岩が「龍の鳥居」のような役割を果たしているのかもしれません。想像するととても神秘的ですね。


🌊 重さ200kg!男衆が挑む「注連縄張り」

夫婦岩を結ぶ注連縄(しめなわ)には、約150年の歴史があります。

豊漁と安全を願って

始まりは江戸時代末期の嘉永年間(1848〜1854)。

当時、沿岸漁業が盛んだった二見浦の漁民たちが、海の安全と豊漁を祈願して始めたのがきっかけです。

新春の伝統行事

現在では、毎年1月2日の夜明けとともに「注連縄張り」の神事が行われます。

褌(ふんどし)姿の男衆が、極寒の冬の海で禊(みそぎ)を行い、身を清めてから岩によじ登ります。

岩の下では他の男衆が竹の棒を使って縄を支え、力を合わせて新しい注連縄を張り替える姿は、北浦エリアの新春の風物詩となっています。


📏 驚きのスケール!夫婦岩データ

海から見るとその大きさに圧倒されますが、実際のサイズもビッグスケールです。

項目サイズ・詳細
男岩(左)高さ 約9メートル(5間)
女岩(右)高さ 約6メートル(3.5間)
注連縄の長さ約27メートル(15間)
注連縄の重さ約200キロ(53貫 / ワイヤー入り)

200kgもの大綱を、足場の悪い海上の岩で張り替える男衆のパワーと団結力には驚かされますね。


ℹ️ 基本情報&アクセス

ドライブの途中に立ち寄って、海風を感じながら龍伝説に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

項目内容
スポット名夫婦岩(めおといわ)
所在地下関市豊北町大字二見(二見浦)
関連行事注連縄張り(毎年1月2日)
お問い合わせ083-782-1914(豊北総合支所地域振興課)

🚗 アクセス

  • 【電車】
    • JR山陰本線「長門二見駅」から徒歩約15分
  • 【車】
    • 国道191号線沿い(下関市街地から角島方面へ向かう途中)

💖 まとめ

龍が通る伝説の岩と、人々の祈りが込められた200kgの注連縄。

下関・二見浦の「夫婦岩」は、自然の厳しさと、それと共に生きる人々の力強さを感じられる絶景スポットです。

次の休日は、海岸線をドライブしながら、このパワースポットを訪れてみませんか?

【下関】海中の奇岩に縄を張る!?壇ノ浦「しめなわ祭」の伝説

源平合戦の舞台として有名な下関市・壇之浦(だんのうら)。

関門海峡の激しい潮の流れの中に、ぽつりと頭を出している岩があるのをご存知ですか?

その名は「烏帽子岩(えぼしいわ)」。

海難防止の守り神として漁師たちに敬われているこの岩では、毎年冬になると、神職が岩によじ登ってしめ縄を張り替える珍しい神事「しめなわ祭」が行われます。

今回は、なぜ海の中の岩にしめ縄を張るのか? その起源となった不思議な伝説と、関門海峡の冬の風物詩をご紹介します。


🦊 夢のお告げが救った?「大石」の伝説

このお祭りには、古くから伝わるドラマチックな伝説があります。

岩が倒れて災難続きに…

昔、激しい潮の流れによって、この烏帽子岩(大石)が海中に倒れてしまったことがありました。

するとその十日後から、壇ノ浦の町は大変なことに。大雨、台風、火災、疫病と、悪いことばかりが続くようになったのです。

夢枕に立った「狐」の助言

人々が困り果てていたある日、一人の老漁夫の夢枕に狐(きつね)が現れ、こう告げました。

「大石を早く起こさねば、災難は更に続くであろう」

そのお告げを聞いた町の人々は、総出で協力して大石を起こすことに成功。

すると嘘のように災害はなくなり、嵐もおさまって大漁が続くようになったといいます。


🌊 重さ20kg!迫力の「しめなわ祭」

この故事に由来して始まったのが、航海の安全と豊漁を願う「しめなわ祭」です。

  • 開催時期: 毎年12月上旬
  • 内容: 地元の赤間神宮の神職が海中の岩に登り、新しいしめ縄を張り替え、お神酒をまいて清めます。
  • しめ縄のサイズ: 長さ5メートル、重さ20キロ

寒風吹きすさぶ関門海峡で、神職たちが足場の悪い岩の上で作業する姿は迫力満点。

冬の訪れを告げる風物詩として、多くの人々が見物に訪れます。


ℹ️ 基本情報&アクセス

関門海峡の急流と、歴史ある岩の神事。

冬の下関で、古の人々の祈りに触れてみませんか?

項目内容
イベント名しめなわ祭(烏帽子岩)
開催時期毎年12月上旬
所在地下関市壇之浦町6番地先(海中)
お問い合わせ083-231-4138(赤間神宮)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約12分、「みもすそ川」バス停下車、徒歩3分

💖 まとめ

人々の生活を守るために岩を起こし、祈りを捧げた伝説の祭り。

関門海峡の絶景とともに、伝統を守り続ける下関の心意気を感じてみてください。

【下関・豊浦】室町時代の祈り。「岩谷十三仏」で干支の守護仏に会う歴史散策

下関市豊浦町、静かな山里にひっそりと佇む貴重な史跡をご存知でしょうか?

その名は「岩谷十三仏(いわやじゅうさんぶつ)」。

室町時代後期に自然の岩肌に刻まれたこの石仏群は、歴史のロマンと人々の深い感謝の心が込められた、知る人ぞ知るパワースポットです。

今回は、自分の干支の守り本尊にも出会える、岩谷十三仏の魅力と不思議な伝説をご紹介します。


☔ 殿様への感謝が生んだ奇跡!「雨乞い」の伝説

この石仏群が作られた背景には、ある戦国武将と村人たちの、心温まる物語が残されています。

逃げ延びた大内義隆公と「ばんばら楽」

かつて、陶隆房(後の晴賢)の謀反により追われた大名・**大内義隆(おおうちよしたか)**公が、この岩谷の地に隠れ住んでいたことがありました。

その際、助けてくれた村人たちへのお礼として、義隆公は「ばんばら楽」という芸能を記した巻物を残したといいます。

雨乞いの奇跡と十三仏の造立

その後、村が大干ばつに見舞われた際、村人たちは義隆公への供養と雨乞いのために、その「ばんばら楽」を熊野神社に奉納しました。するとたちまち大雨が降り、村は救われたのです。

この奇跡に感謝した村人たちが、義隆公の冥福を祈り、造り上げたのがこの十三仏だと伝えられています。


🙏 自然の岩に刻まれた、慈悲深い13の祈り

岩谷十三仏は、高さ約1メートルから2メートルの自然の岩肌に彫られています。

長い年月を経て風雨にさらされてきましたが、その表情は今も穏やかで慈悲深く、見る人の心を静かに癒やしてくれます。

十三仏とは?

亡くなった方の初七日から三十三回忌まで、十三回の追善供養を司る仏様たちのこと。それぞれが慈悲の心を持ち、人々を極楽浄土へと導くとされています。


🐭 あなたの守り本尊は?「干支守護仏」めぐり

ここを訪れたらぜひチェックしたいのが、「干支(えと)守護仏」です。

十三仏のうちの八尊は、それぞれの干支を守る仏様としても信仰されています。

  • 千手観音(子年)
  • 虚空蔵菩薩(丑・寅年)
  • 文殊菩薩(卯年)
  • 普賢菩薩(辰・巳年)
  • 勢至菩薩(午年)
  • 大日如来(申・未年)
  • 不動明王(酉年)
  • 阿弥陀如来(戌・亥年)

自分の干支の守護仏にお参りして、幸運や健康を祈願してみてはいかがでしょうか。


ℹ️ 基本情報&アクセス

歴史、信仰、そして自然が融合した静寂の空間へ、心を整える旅に出かけてみませんか?

項目内容
スポット名岩谷十三仏(いわやじゅうさんぶつ)
所在地下関市豊浦町川棚中小野
時代室町時代後期
お問い合わせ083-774-1211(豊浦町観光協会)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR山陰本線「川棚温泉駅」からバスで約13分、「岩谷口」下車、徒歩20分
  • 【車】
    • JR山陰本線「川棚温泉駅」から約10分
    • 中国自動車道「小月I.C」から約29分

💖 まとめ

戦国の世の逃避行と、村人たちの感謝の祈りが生んだ「岩谷十三仏」。

静かな山あいで石仏と向き合う時間は、現代の忙しさを忘れさせてくれるひとときになるはずです。

川棚温泉への旅行の際は、少し足を伸ばして、この歴史あるパワースポットを訪れてみませんか?

【下関】酒好きの僧侶が救う!?「頭痛封じ」のパワースポット・虚無僧墓

下関市の奥座敷、川棚温泉から少し離れた中小野地区。

ここに、「頭痛持ち」の人々が救いを求めて訪れる、知る人ぞ知るパワースポットがあるのをご存知ですか?

その名は「虚無僧墓(こむそうばか)」。

かつてこの地にいた、酒好きで変わり者の僧侶にまつわる、切なくも温かい伝説が残されています。

今回は、村娘を救ったヒーローでありながら、自身の病と戦った虚無僧の物語と、不思議なご利益をご紹介します。


🍶 嫌われ者の僧侶が、命がけで「村娘」を救う!

物語の舞台は、江戸時代後期の天保年間(1830〜1843年)。

当時この村には、尺八を吹いては酒ばかり飲んでいる一人の虚無僧がいました。

「あのお坊さんは酒ばかり飲んで…」と、村人からは敬遠される存在だったといいます。

しかしある日、事件が起きます。

村の娘が山賊に襲われたのです。その時、自分の命を顧みず、命がけで娘を救い出したのが、他ならぬこの虚無僧でした。

彼はただの酔っ払いではなく、正義感を秘めた人物だったのです。


🤕 「酒を供えてくれれば…」最期の願いとご利益

実は、彼が酒を飲んでいたのには、悲しい理由がありました。

弘化3年(1846年)、虚無僧は「脳病(ひどい頭痛)」に苦しみ、痛みのあまり川棚川の河原にある大岩に何度も頭を打ち付けて倒れてしまいます。

息を引き取る間際、彼はこう言い残しました。

「私の墓を建てて酒を供えてくれれば、あなたたちの苦しみを和らげてあげよう」

村人たちは初めて、彼が頭の痛みを紛らわせるために酒を飲んでいたことを知りました。

村人たちは感謝と哀悼の意を込めて墓を建て、今では**「頭痛封じ」**のご利益がある場所として、多くの人々が参拝に訪れています。


ℹ️ 基本情報&アクセス

川棚温泉への旅の途中で、伝説の僧侶に会いに行ってみませんか?

項目内容
スポット名虚無僧墓(こむそうばか)
所在地下関市豊浦町川棚中小野
ご利益頭痛封じ
お問い合わせ083-774-1211(豊浦町観光協会)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR山陰本線「川棚温泉駅」からバスで約16分、「虚無僧墓」バス停下車、徒歩すぐ
  • 【車】
    • JR「川棚温泉駅」から約11分
    • 中国自動車道「小月I.C」から約30分

💖 まとめ

村人から誤解されながらも、最期まで人々を救おうとした虚無僧。

その優しさは、今も「頭痛封じ」という形で受け継がれています。

頭痛に悩んでいる方、あるいは大切な人の健康を祈りたい方。

川棚の静かな里山で、虚無僧にお酒をお供えして、祈りを捧げてみてはいかがでしょうか?

【下関・川棚】絶世の美女が眠る場所?「小野小町の墓」に秘められた哀愁の伝説

世界三大美女の一人にも数えられる、平安時代の歌人・小野小町(おののこまち)。

その墓と伝わる史跡が、下関市豊浦町川棚の静かな山里にあることをご存知でしょうか?

全国各地に伝説が残るミステリアスな彼女ですが、ここ川棚に残る物語は、老いゆく美貌への苦悩と、晩年の心の平穏を描いた、切なくも美しいものです。

今回は、百人一首にも詠まれた絶世の美女の伝説と、その終焉の地を巡る歴史旅へご案内します。


🌸 老いさらばえた姿を見せたくない…。美貌ゆえの流浪

解説板に残る物語によると、かつて美貌を誇った小町も、歳月とともにその容色が衰えていきました。

自尊心の強かった彼女は、老いさらばえた自分の姿を人に見られることを嫌い、都を離れて全国を流浪する旅に出たといいます。

安住の地・川棚での晩年

長い旅の末、小町がたどり着いたのが、ここ川棚の地でした。

彼女は村人たちの温かさに触れ、この地でひっそりと暮らすことを決めます。

愛用の銅鏡を片時も離さず、鏡に映る自分の姿に無常を感じながら、静かにその生涯を閉じたと伝えられています。


🪞 墓石に残る「銅鏡」の伝説

このお墓の最大の特徴は、墓石の中央にはめ込まれた丸い石です。

これは、小町が肌身離さず持っていた愛用の銅鏡を表しているといわれています。

かつて自分の美しさを映し、そして老いゆく姿をも映し出した鏡。

それは彼女の美貌の象徴であると同時に、晩年の哀愁を今に伝える形見でもあります。

ちなみに、この辺りの**「小野」という地名も、小町に由来する**と言われています。


📜 百人一首に詠まれた「美の無常」

小野小町といえば、百人一首のこの歌が有名です。

花の色は 移りにけりな いたづらに

我が身世にふる ながめせし間に

桜の花が色あせていくように、自分の容色も衰えてしまった…という嘆きを歌ったこの歌は、まさにここ川棚での彼女の心情と重なります。

華やかな伝説の裏にある、一人の女性としての切ない想いに触れられるスポットです。


ℹ️ 基本情報&アクセス

小野小町の墓は全国に点在しており、その生涯は多くの謎に包まれています。

ここ川棚の墓も、そんな歴史ロマンの一つ。川棚温泉からのアクセスも良好です。

項目内容
スポット名小野小町の墓
所在地下関市豊浦町川棚中小野
お問い合わせ083-774-1211(豊浦町観光協会)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR山陰本線「川棚温泉駅」からバスで約16分、「虚無僧墓」バス停下車、徒歩すぐ
  • 【車】
    • JR「川棚温泉駅」から約11分
    • 中国自動車道「小月I.C」から約30分

💖 まとめ

美しさを極めたがゆえの孤独と、旅の果てに見つけた安息の地。

下関・川棚に残る小野小町の墓は、華やかなイメージとは違う、彼女の静かな晩年を想像させてくれます。

川棚温泉でリフレッシュした後は、歴史のミステリーに思いを馳せる散策に出かけてみませんか?

【下関】樹齢1000年の巨木!愛馬が眠る「霊馬の森」伝説

下関の奥座敷、川棚温泉。

その近くにある下小野地区に、樹齢1000年を超える巨大なクスの木が守る、神秘的な森があるのをご存知でしょうか?

その名は「霊馬の森(れいばのもり)」。

ここには、戦国時代の領主・大内義隆公に愛された名馬「雲雀毛(ひばりげ)」が眠っています。

今回は、母を求めて海を渡ったという野生の馬の伝説と、主君と共に戦い散った悲劇の物語、そして静寂に包まれた巨木のパワースポットをご紹介します。


🐎 野生の名馬「雲雀毛」の数奇な運命

物語の始まりは、天文12年(1543年)。

御崎山の牧場で生まれた一頭の馬「雲雀毛」は、幼くして母馬を失います。

母を求めて海を渡り、険しい岩山を駆け巡るその姿は、見る人々を驚嘆させました。

荒馬を乗りこなした武将

その噂は、当時の防長二州(現在の山口県など)の領主、**大内義隆(おおうちよしたか)**公の耳にも届きます。

家臣たちはこの名馬を生け捕りにしようとしますが、野生の荒馬である雲雀毛は容易には捕まりません。

最後に、金田三郎乗貞という武将がその怪力をもって、ようやく捕獲に成功したといわれています。


⚔️ 戦国の世に散った命と「クスの巨木」

調教された雲雀毛は、義隆公の愛馬として常にそばに仕えました。

しかし、天文20年(1551年)、家臣である陶晴賢(すえはるかた)の謀反により、運命は暗転します。

主君を守り、傷ついた最期

山口を追われ、各地を転戦した義隆公と雲雀毛。

川棚ヶ原での戦いにおいて、雲雀毛は深い傷を負い、その命を落としてしまいます。

愛馬の死を深く悲しんだ義隆公は、武将たちに命じ、鬱蒼と茂る大樹の下に手厚く埋葬させました。

樹齢1000年の天然記念物

雲雀毛が眠るその場所にあるのが、樹齢1000年余りと言われるクスの巨木です。

大正11年(1922年)には史蹟名勝天然記念物にも指定されました。

この森は「霊馬の森」と呼ばれ、毎年3月28日には慰霊祭が行われ、今も愛馬の魂を慰めています。


🍃 山頭火も訪れた歴史の地

森には、放浪の俳人・種田山頭火の句碑もひっそりと佇んでいます。

また周辺には、敗走した義隆公が隠れ住んだとされる「岩谷ヶ浴八丈岩」などの史跡も残されており、歴史の儚さとロマンを感じながら散策することができます。


ℹ️ 基本情報&アクセス

川棚温泉から車でわずか8分。

温泉でリラックスした後に、静かな森で巨木のパワーと歴史の物語に触れてみませんか?

項目内容
スポット名霊馬の森(れいばのもり)
所在地下関市豊浦町川棚下小野
見どころ雲雀毛の墓、クスの巨木(天然記念物)、山頭火句碑
お問い合わせ083-774-1211(豊浦町観光協会)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR山陰本線「川棚温泉駅」からバスで約11分、「浜井場」バス停下車、徒歩6分
  • 【車】
    • JR「川棚温泉駅」から約8分
    • 中国自動車道「小月I.C」から約26分

💖 まとめ

母を求めて海を渡り、主君のために戦場を駆けた名馬「雲雀毛」。

樹齢1000年の巨木の下で眠るその伝説は、訪れる人に静かな感動を与えてくれます。

川棚温泉への旅の途中で、この神秘的な森に立ち寄り、悠久の時に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

【下関】江戸の外交パレード!朝鮮通信使と馬関まつり

山口県下関市は、古くから海峡の街として栄え、海外との交流の窓口となってきました。

その歴史の中で、特に華やかで重要な役割を果たしたのが「朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)」です。

江戸時代、国を超えて文化と友情を運んだ一行。

今回は、下関に残るその足跡と、当時の豪華絢爛な行列を再現する夏の風物詩「馬関(ばかん)まつり」についてご紹介します!


🇰🇷 江戸時代の平和の使者「朝鮮通信使」とは?

「朝鮮通信使」とは、江戸時代を通じて、朝鮮王朝から日本へ12回にわたって派遣された外交使節団のことです。

  • 目的: 将軍の代替わりや、世継ぎの誕生をお祝いするため。
  • 役割: 単なる外交だけでなく、文化や技術の交流も盛んに行われました。

数百人規模のきらびやかな一行は、当時の日本人にとって最大のエンターテインメントであり、文化的な刺激を与える存在でした。


🚢 下関(馬関)は重要な「おもてなし」の地

彼らの旅路において、下関は非常に重要な場所でした。

通信使一行は、釜山から海路で対馬へ渡り、そこから**馬関(ばかん=現在の下関市)**を経て瀬戸内海を進み、江戸へと向かいました。

本州への入り口である下関は、重要な通過点として彼らを盛大にもてなしたのです。

市内には今も、当時の交流の様子を伝える資料や史跡が数多く残されており、歴史ロマンを感じることができます。


🎉 夏の熱気!「馬関まつり」で蘇る歴史絵巻

当時の華やかな様子を現代に蘇らせるのが、毎年夏に開催される下関最大のお祭り「馬関まつり」です。

必見!朝鮮通信使行列の再現

毎年8月23日に行われるパレードでは、「朝鮮通信使行列」が見事に再現されます。

  • 見どころ: 色鮮やかな韓国の伝統衣装を身にまとった行列が、賑やかな音楽とともに練り歩きます。
  • 雰囲気: 江戸時代の国際交流の熱気がそのまま蘇ったかのような光景は、多くの観光客を魅了しています。

ℹ️ 基本情報&アクセス

歴史ある唐戸エリアは、散策にもぴったりです。

項目内容
スポット名朝鮮通信使上陸淹留之地(関連史跡)など
所在地山口県下関市唐戸町6-1
関連イベント馬関まつり(毎年8月下旬 ※行列再現は23日)
お問い合わせ083-231-1350(下関市観光振興課)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約7分、「唐戸」バス停下車、徒歩2分

💖 まとめ

江戸時代、海を越えて友情を育んだ朝鮮通信使と下関の人々。

「馬関まつり」の華やかな行列を見れば、その平和への想いと歴史の重みを肌で感じることができるはずです。

今年の夏は、下関で歴史ロマンあふれる国際交流のパレードを体感してみませんか?

【角島】鬼が投げた巨石!?「鬼の岩」伝説と手形を探す旅

絶景スポットとして大人気の山口県・角島(つのしま)。

コバルトブルーの海にかかる角島大橋が有名ですが、実はこの島には、古くから語り継がれる**「鬼」にまつわる不思議な伝説**があるのをご存知ですか?

海岸にそびえ立つ奇岩「鬼の岩」。

そこには、鬼たちの壮大な挑戦と、神様のちょっとした「いたずら」の物語が秘められています。

今回は、絶景だけじゃない、角島のミステリアスな歴史ロマンをご紹介します!


👹 鬼 vs 神様!一夜限りの「埋め立て工事」バトル

昔々、島戸(しまど)の高坪山に住む鬼たちが、村人を困らせていました。

困り果てた村人たちは、住吉大神(すみよしおおかみ)に相談。そこで大神は、鬼たちにある「賭け」を持ちかけます。

「一晩のうちに島戸と角島の間の海を陸続きにすることができたら、何でも望みのものをやろう。じゃが、できなかったら山から追放するぞ。」

あと一歩で…神様のいたずら

鬼たちは喜んで挑戦!夜通し岩を海に投げ込み、海はみるみる陸地へと変わっていきました。

しかし、あと少しで完成という時、大神は鶏の鳴き真似をして、「もう夜が明けてしまった」と告げます。

騙されたとも知らず、鬼たちは力尽きてその場に座り込んでしまいました。

この時、鬼が投げ込んだ岩が、今も「鬼の岩」として残っていると言われています。


✋ 岩に残る「鬼の手形」を探してみよう

この伝説の岩は、角島小学校の近くにあります。

実際に訪れてみると、その大きさや迫力に圧倒されるはずです。

そして、よーく観察してみてください。

岩には**「鬼の手形」**が残っていると言われています。

鬼が怪力で岩を掴んだ痕跡を見つければ、伝説がよりリアルに感じられるかもしれません。


🚗 あわせて巡りたい!角島の周辺スポット

鬼の岩を訪れたら、角島の美しい自然も満喫しましょう。

  • 角島大橋: 日本海に浮かぶ絶景の橋
  • 角島灯台: 歴史ある石造りの灯台
  • 海士ヶ瀬(あまがせ): 干潮時に現れる神秘的な道
  • めのうロード: 美しいめのうが拾える海岸

ℹ️ 基本情報&アクセス

項目内容
スポット名鬼の岩
所在地山口県下関市豊北町角島(角島小学校近く)
見どころ鬼の手形、奇岩の迫力

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR山陰本線「特牛(こっとい)駅」から角島行バスで約21分、「学校横」下車、徒歩5分
  • 【車】
    • 中国自動車道「小月I.C」から約71分
    • 中国自動車道「下関I.C」から約80分

💖 まとめ

美しい海を埋め立てようとした鬼たちの熱意と、それを知恵(?)で阻止した神様の物語。

「鬼の岩」は、角島の風景に深みを与えてくれるユニークなスポットです。

次のドライブでは、絶景の裏に隠された「鬼の痕跡」を探しに行ってみませんか?

【下関】平家の怨念と盲目の法師。「耳なし芳一」の舞台・赤間神宮で感じる怪談ロマン

日本の怪談の中でも、特に有名で恐ろしい物語「耳なし芳一(みみなしほういち)」。

盲目の琵琶法師が、平家の亡霊に魅入られ、その両耳を奪われてしまう……。誰もが一度は聞いたことのあるこの物語の舞台が、山口県下関市にあることをご存知でしょうか?

その場所とは、竜宮城のような美しい門で知られる「赤間神宮(あかまじんぐう)」。

源平合戦最後の地・壇ノ浦を望むこの神社には、芳一を祀る「芳一堂」があり、今も多くの参拝者が訪れています。

今回は、悲劇の歴史と怪談が交差するミステリアスなスポット、赤間神宮と芳一伝説の謎に迫ります。


👻 亡霊を泣かせた琵琶の音色。芳一の悲劇

物語の主人公・芳一は、赤間神宮の前身である「阿弥陀寺」に住んでいた盲目の琵琶法師でした。

彼は琵琶の弾き語りの名手として評判で、毎晩のように「平家物語」を語り、琵琶を奏でていました。

謎の人物からの招待

ある夜、芳一のもとに謎の人物が現れ、高貴な方への演奏を依頼します。

連れて行かれた先で、芳一は渾身の演奏を披露。そのあまりに美しく悲しい音色は、集まった人々を涙させました。

しかし、彼が演奏していた相手は、この世の者ではありませんでした。

そこは、壇ノ浦の戦いで滅亡した平家一門の亡霊たちの宴の席だったのです。

奪われた両耳

亡霊たちは芳一の琵琶に魅了され、彼を自らの世界(冥府)へと引きずり込もうとします。

異変に気づいた和尚が芳一の全身にお経を書き魔除けを行いましたが、唯一「耳」にだけ書き忘れてしまいました。

その結果、芳一は亡霊に両耳をもぎ取られてしまうのです。


🌊 壇ノ浦の戦いと平家の怨念

なぜ、この場所で怪談が生まれたのでしょうか?

それは、目の前に広がる関門海峡が、源平合戦のクライマックス「壇ノ浦の戦い」の舞台だからです。

この戦いで、平家一門は源氏軍に敗れ、幼い安徳天皇と共に海へと沈み滅亡しました。

赤間神宮は、その入水した安徳天皇を祀る神社。

「平家物語」は、この悲劇的な戦いの記憶と、無念の死を遂げた平家一門の怨念を語り継ぐ物語であり、芳一伝説はその怨念を象徴するエピソードとして現代に伝わっています。


📚 小泉八雲が描いた「死と生の境界線」

この伝説を世界に広めたのが、日本文化を愛したイギリス人作家、**小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)**です。

彼の著書『怪談』の中で紹介された「耳なし芳一」は、単なる怖い話ではなく、人間の業の深さや、死者と生者の境界線を描いた文学作品として高く評価されています。

琵琶は古来より、死者を呼び覚ます力を持つ楽器と信じられてきました。

芳一の奏でる音色は、海底に眠る平家の魂を呼び起こし、現世へと導いてしまったのかもしれません。


ℹ️ 基本情報&アクセス

赤間神宮の境内には、芳一の木像が祀られた「芳一堂」があります。

静かに手を合わせ、琵琶の音色に耳を澄ませてみてはいかがでしょうか。

項目内容
スポット名赤間神宮(芳一堂)
所在地山口県下関市阿弥陀寺町4-1
お問い合わせ083-231-4138(赤間神宮)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約9分、「赤間神宮前」下車、徒歩すぐ

💖 まとめ

美しい朱色の神社に秘められた、悲しくも恐ろしい怪談の物語。

現地を訪れれば、潮騒の向こうから、芳一の琵琶の音が聞こえてくるような気がします。

下関観光の際は、歴史と伝説が息づく赤間神宮で、少し背筋が凍るような歴史ロマンに浸ってみませんか?

【下関・吉田】奇兵隊の駐屯地!「首切六地蔵」の衝撃的な伝説が残る法専寺

高杉晋作が眠る地として知られる、下関市吉田地区。

この歴史情緒あふれる場所に、維新の動乱と悲しい歴史を今に伝えるお寺があります。

その名は「法専寺(ほうせんじ)」。

ここはかつて奇兵隊の駐屯所として使われた由緒ある寺院ですが、境内には「首切六地蔵」と呼ばれる、衝撃的な逸話を持つお地蔵様が鎮座しています。

今回は、幕末の志士たちの息吹と、少し背筋が凍るような歴史ミステリーが同居する「法専寺」の見どころをご紹介します。


⚔️ 「首をはねてこい!」若き隊長の命令と六地蔵

境内に並ぶ六体のお地蔵様。よく見ると、首の部分に継ぎ目があることに気づくはずです。

これには、明治維新の頃の荒々しいエピソードが関係しています。

神国思想と排仏の嵐

当時、近くの松林寺に陣を張っていた「少年隊」の隊長・鳥尾小弥太が、隊員たちにある命令を下しました。

「我が国は神国であるにもかかわらず、仏教が盛んになり石地蔵まで氾濫しているのはけしからん。君たちに勇気があれば、首をはねてこい」

現代に残る傷跡

この命令を受けた隊員たちによって、六体の地蔵の首は切り落とされてしまいました。

現在は、首の中心に鉄棒を打ち込み、セメントでつなぎ合わされて修復されています。

痛々しくも歴史の証人として佇むその姿は、時代の激しさを静かに物語っています。


🚩 奇兵隊の「駐屯所」としての歴史

法専寺は、奇兵隊の陣屋(本拠地)ができるまでの間、駐屯所の一つとして使用されていた歴史があります。

高杉晋作らが活躍した激動の時代、志士たちがこの場所で何を語り合ったのか、想像するだけで歴史ロマンが広がります。

また、山手にある墓地には、小倉戦争で戦死した奇兵隊士8名の墓があり、今も手厚く弔われています。


🙏 秘仏と千人塚。人々の祈りの場所

法専寺の歴史は古く、寛文4年(1664年)に領主・山内広通の室である帰命院が開基となり、寺号を改めて法専寺となりました。

  • 秘仏・阿弥陀如来:本尊は長野の善光寺如来を写したものといわれ、20年ごとに御開帳される秘仏です。
  • 千人塚(餓死魂の碑):境内には、享保17年(1732年)の大飢饉で亡くなった人々を供養する碑も建てられています。

ℹ️ 基本情報&アクセス

奇兵隊ゆかりの地「東行庵」などとあわせて、吉田エリアの歴史散策におすすめです。

項目内容
スポット名法専寺(ほうせんじ)
所在地下関市大字吉田地方吉田五区埴生口
見どころ首切六地蔵、奇兵隊士の墓、千人塚
お問い合わせ083-284-0754

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「小月駅」からバスで約16分、「宗地」バス停下車、徒歩20分

💖 まとめ

奇兵隊士たちが過ごした駐屯所であり、時代の波に翻弄されたお地蔵様が残る「法専寺」。

ただ静かなだけではない、幕末の熱気と痛みが刻まれた場所です。

下関・吉田へお越しの際は、この歴史の証人たちに会いに行ってみませんか?

関門の名所やお祭りなどを映像と写真で紹介しています。