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【下関】人柱となった遊女「お亀」の伝説。亀山八幡宮の「お亀銀杏」に秘められた物語

下関市の唐戸エリアに鎮座する「亀山八幡宮(かめやまはちまんぐう)」。

「カメ山」という愛称や、世界最大のふくの像があることで有名な神社ですが、ここにはある一人の女性の、悲しくも美しい伝説が語り継がれています。

その女性の名は、お亀(おかめ)。

かつて人柱となり、荒れ狂う海を鎮めた遊女の物語と、彼女を祀る「お亀銀杏(おかめいちょう)」のパワースポットとしての魅力をご紹介します。


🌊 激流を鎮めるために。遊女「お亀」の決断

物語の舞台は、江戸時代初期。

当時、亀山八幡宮の一帯は島でしたが、街の発展のために陸続きにする埋め立て工事が行われていました。

しかし、関門海峡の急流によって埋めても埋めても土砂が流され、工事は難航を極めます。そこで、ついに「人柱(ひとばしら)」を立てることが決まりました。

「私の命が役に立つなら」

その時、自ら名乗り出たのが、稲荷町(現在の赤間町)の遊女「お亀」でした。

彼女は疱瘡(ほうそう)を患い、顔にアバタ(痕)が残っていたといいます。

「自分の命が町の人々の役に立つなら」と、お亀は尊い決断を下しました。

月明かりの夜、白衣に身を包んだお亀は海へと消えていきました。すると不思議なことに潮の流れは穏やかになり、工事は無事に完成したと伝えられています。


🍂 無病息災のパワースポット「お亀銀杏」

人々はお亀の功績を称え、境内にイチョウの木を植えて「お亀イチョウ」と名付けました。

アバタ模様の銀杏

不思議なことに、このイチョウは秋になると「無数の斑点」がある実をつけることから、「お亀ギンナン」と呼ばれるようになりました。

この斑点は、お亀さんの顔のアバタの名残だと言い伝えられています。

ご利益

明治時代には天然痘除けのお守りとして信仰されましたが、現在では無病息災、延命長寿のご利益があるとして人気を集めています。


💃 博多どんたくのルーツ?「八丁浜踊り」

お亀の犠牲によって埋め立てられた浜は「八丁浜(はっちょうはま)」と呼ばれました。

毎年5月の五穀祭では、彼女の功績を称える「八丁浜踊り」が奉納されます。

「八丁浜エラヤッチャ」という独特の囃子に合わせて杓文字(しゃもじ)を叩きながら踊るこの祭りは、実は福岡の**「博多どんたく」のルーツ**とも言われています。


ℹ️ 基本情報&アクセス

唐戸市場やカモンワーフからもすぐ近く。

観光の合間に、亀山八幡宮へお参りして、お亀さんの伝説に触れてみませんか?

項目内容
スポット名亀山八幡宮(おかめ明神・お亀銀杏)
所在地下関市中之町1-1
ご利益無病息災、延命長寿
お問い合わせ083-231-1323

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約7分、「唐戸」バス停下車、徒歩5分

💖 まとめ

悲劇的な人柱の伝説と、それを感謝し続ける人々の想いが詰まった「お亀銀杏」。

亀山八幡宮を訪れた際は、海を見下ろす境内にあるイチョウの木やお亀明神に、静かに手を合わせてみてはいかがでしょうか。

 【川棚温泉】守護神「青龍」の伝説!病を癒やす不思議な湯の物語

下関市の奥座敷として知られる「川棚温泉(かわたなおんせん)」。

肌に優しい美肌の湯として人気ですが、実はここには、古くから語り継がれる**「青龍(せいりゅう)」の伝説**があることをご存知でしょうか?

かつてこの地を守り、一度は失われ、そして奇跡的に復活した温泉と龍の物語。

今回は、温泉に浸かるのがもっと感慨深くなる、川棚温泉に秘められた深い歴史とパワースポットをご紹介します。


🐉 悲劇と奇跡。青龍と温泉の始まり

物語はずっと昔、この地がまだ深い森だった頃にさかのぼります。

そこには**水の神様として一匹の「青龍」**が住む泉があり、どんな日照りでも枯れることなく、人々の生活を豊かに潤していました。

大地震と温泉の湧出

しかし、ある日突然の大地震がこの地を襲います。

泉は埋まり、住処を失った青龍は悲しみのあまり亡くなってしまいました。その後、困り果てた村人が青龍を祀り、泉の跡地を掘ってみると……なんとそこから温泉が湧き出したのです。

不思議なことに、このお湯を浴びた人々は病気が治り、元気を取り戻したといいます。これが川棚温泉の始まりと言われています。


🙏 夢のお告げで復活!薬師如来と怡雲和尚

時は流れて応永年間(1394〜1427年)。

一度は枯れてしまっていた温泉ですが、この地を再び日照りと疫病が襲った時、奇跡が起きます。

薬師如来の導き

人々を救いたいと祈り続けた三恵寺の怡雲(いうん)和尚の夢枕に、薬師如来が現れました。

薬師如来は、かつての青龍伝説と不思議な温泉の物語を告げます。

そのお告げを信じて和尚と村人が地面を掘り起こすと、見事に温泉が復活!

その湯は再び多くの人々の病気を治し、村に平穏を取り戻しました。以来、村人たちは**青龍を温泉と村の「守護神」**として大切に祀り続けています。


⛩️ 今も息づく伝説。「松尾神社」と「青龍湖」

この伝説は、形を変えて現在の川棚温泉にも息づいています。

守護神を祀る「松尾神社(青龍権現)」

温泉街にある「松尾神社」は、かつて青龍権現とも呼ばれていました。

ここでは京都の松尾神社からの御分霊とともに、温泉の源に住んでいた青龍もあわせて祀られていると伝えられています。

温泉が枯れることなく湧き続けているのは、今も青龍が守ってくれているからかもしれません。

新たなシンボル「青龍湖」

また、平成13年(2001年)に完成した舟郡(ふなごおり)ダムは、この伝説にあやかって「青龍湖(せいりゅうこ)」と名付けられました。

伝説は現代にも引き継がれ、地域の人々に愛され続けています。


ℹ️ 基本情報&アクセス

項目内容
スポット名川棚温泉(青龍伝説・松尾神社)
所在地下関市豊浦町川棚湯町
お問い合わせ083-772-0296(川棚温泉観光協会)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR山陰本線「川棚温泉駅」からバスで約4分、「川棚温泉」下車すぐ
  • 【車】
    • 下関I.Cから約32分
    • 小月I.Cから約27分

💖 まとめ

村を守るために尽くした青龍と、それを大切に守り抜いてきた人々の祈り。

川棚温泉の温かいお湯には、そんな深い物語が溶け込んでいます。

次の休日は、伝説の守護神「青龍」に見守られた名湯で、心も体も癒やされる旅に出かけてみませんか?

【下関】壇ノ浦の悲劇「平家の一杯水」伝説!歴史ロマン散策

源平合戦の最後の舞台として知られる、山口県下関市の「壇ノ浦(だんのうら)」。

ここには、平家滅亡の悲劇を今に伝える、少し切なく、不思議な伝説が残されています。

その名も「平家の一杯水(へいけのいっぱいやる)」。

寿永4年(1185年)、栄華を極めた平家一門が海へと散ったこの場所で、一体何が起きたのか?

今回は、歴史と文学が織りなす物語を辿りながら、赤間神宮や周辺の史跡を巡る歴史散策へとご案内します。


🌊 栄華の夢が散る。壇ノ浦の戦いと安徳天皇

物語の舞台は、平安時代末期の寿永4年(1185年)3月24日。

関門海峡の激流の中で、源平合戦のクライマックス「壇ノ浦の戦い」が繰り広げられました。

平知盛(たいらのとももり)率いる平家軍は、源義経(みなもとのよしつね)率いる源氏軍の猛攻を受け、壮絶な海戦の末に敗北。

敗戦を悟った平家一門は、次々と海へ身を投じていきました。

その中には、わずか8歳という幼さの**安徳天皇(あんとくてんのう)**の姿も。

祖母である二位ノ尼(にいのあま)に抱かれ、「波の下にも都がございます」という言葉と共に、幼い帝は海へと消えていったのです。


💧 伝説「平家の一杯水」とは?

戦いに敗れ、命からがら岸にたどり着いた平家の武将たち。

傷つき、極限の喉の渇きに苦しむ彼らが、波打ち際にわずかな水溜まりを見つけたことから、この伝説は始まります。

一口目は真水、二口目は…?

武将がその水を掬って飲むと、なんとそれは真水でした。

「ああ、ありがたい」と喉を潤し、救われた思いでもう一口飲もうとすると、不思議なことにその水は塩辛い海水に変わっていたといいます。

この不思議な逸話は、水さえも自由に飲ませてもらえなかった平家一門の無念や悲哀を象徴する物語として、「平家の一杯水」の名で今も語り継がれています。


⛩️ 赤間神宮と歴史散策

壇ノ浦の海岸沿いには、この悲劇の歴史を伝える史跡が数多く点在しています。

安徳天皇を祀る「赤間神宮」

竜宮城のような朱色の水天門が美しい「赤間神宮」。

ここには、入水した安徳天皇が祀られており、境内には「七盛塚(ななもりづか)」と呼ばれる平家一門の供養塔も建立されています。

「平家の一杯水」の碑などの史跡とあわせて巡ることで、歴史の重みと文学的なロマンを肌で感じることができるでしょう。


ℹ️ 基本情報&アクセス

項目内容
スポット名平家の一杯水(史跡)
所在地山口県下関市前田
関連スポット赤間神宮、壇ノ浦古戦場跡
お問い合わせ083-231-1350(下関市観光振興課)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約15分、「前田」バス停下車、徒歩5分
  • 【車】
    • 下関ICから約20分
  • 【徒歩】
    • JR「下関駅」から約40分(海沿いの散策におすすめ)

💖 まとめ

わずか一杯の水にさえ拒まれた、平家の武将たちの無念。

そして、海に沈んだ幼き天皇の悲劇。

美しい関門海峡の景色の中に秘められた、日本史に残るドラマチックな物語に思いを馳せながら、下関・壇ノ浦を歩いてみませんか?

【下関】二見浦「夫婦岩」の龍伝説!海に立つ絶景と注連縄の神事

下関市豊北町の美しい海岸線、二見浦(ふたみうら)。

国道191号線を走っていると、海の中に寄り添うように立つ二つの岩が見えてきます。

それは「夫婦岩(めおといわ)」。

固い絆で結ばれた男岩と女岩の間には、大しめ縄が渡されています。

実はここ、ただの景勝地ではありません。「龍が通る道」という神秘的な伝説が残るパワースポットなのです。

今回は、新春の伝統行事としても知られる夫婦岩の伝説と、迫力の注連縄張りについてご紹介します!


🐉 嵐の日に龍が通る?神秘の伝説

この夫婦岩には、古くから伝わる不思議な言い伝えがあります。

二見浦の背後にある「馬路山」に棲む龍が、台風で海が大時化(おおしけ)になる日、この夫婦岩の間を通って、沖合にある壁島の「龍権社(りゅうごんしゃ)」へお参りに行くといわれているのです。

荒れ狂う海の中で、夫婦岩が「龍の鳥居」のような役割を果たしているのかもしれません。想像するととても神秘的ですね。


🌊 重さ200kg!男衆が挑む「注連縄張り」

夫婦岩を結ぶ注連縄(しめなわ)には、約150年の歴史があります。

豊漁と安全を願って

始まりは江戸時代末期の嘉永年間(1848〜1854)。

当時、沿岸漁業が盛んだった二見浦の漁民たちが、海の安全と豊漁を祈願して始めたのがきっかけです。

新春の伝統行事

現在では、毎年1月2日の夜明けとともに「注連縄張り」の神事が行われます。

褌(ふんどし)姿の男衆が、極寒の冬の海で禊(みそぎ)を行い、身を清めてから岩によじ登ります。

岩の下では他の男衆が竹の棒を使って縄を支え、力を合わせて新しい注連縄を張り替える姿は、北浦エリアの新春の風物詩となっています。


📏 驚きのスケール!夫婦岩データ

海から見るとその大きさに圧倒されますが、実際のサイズもビッグスケールです。

項目サイズ・詳細
男岩(左)高さ 約9メートル(5間)
女岩(右)高さ 約6メートル(3.5間)
注連縄の長さ約27メートル(15間)
注連縄の重さ約200キロ(53貫 / ワイヤー入り)

200kgもの大綱を、足場の悪い海上の岩で張り替える男衆のパワーと団結力には驚かされますね。


ℹ️ 基本情報&アクセス

ドライブの途中に立ち寄って、海風を感じながら龍伝説に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

項目内容
スポット名夫婦岩(めおといわ)
所在地下関市豊北町大字二見(二見浦)
関連行事注連縄張り(毎年1月2日)
お問い合わせ083-782-1914(豊北総合支所地域振興課)

🚗 アクセス

  • 【電車】
    • JR山陰本線「長門二見駅」から徒歩約15分
  • 【車】
    • 国道191号線沿い(下関市街地から角島方面へ向かう途中)

💖 まとめ

龍が通る伝説の岩と、人々の祈りが込められた200kgの注連縄。

下関・二見浦の「夫婦岩」は、自然の厳しさと、それと共に生きる人々の力強さを感じられる絶景スポットです。

次の休日は、海岸線をドライブしながら、このパワースポットを訪れてみませんか?

【下関】酒好きの僧侶が救う!?「頭痛封じ」のパワースポット・虚無僧墓

下関市の奥座敷、川棚温泉から少し離れた中小野地区。

ここに、「頭痛持ち」の人々が救いを求めて訪れる、知る人ぞ知るパワースポットがあるのをご存知ですか?

その名は「虚無僧墓(こむそうばか)」。

かつてこの地にいた、酒好きで変わり者の僧侶にまつわる、切なくも温かい伝説が残されています。

今回は、村娘を救ったヒーローでありながら、自身の病と戦った虚無僧の物語と、不思議なご利益をご紹介します。


🍶 嫌われ者の僧侶が、命がけで「村娘」を救う!

物語の舞台は、江戸時代後期の天保年間(1830〜1843年)。

当時この村には、尺八を吹いては酒ばかり飲んでいる一人の虚無僧がいました。

「あのお坊さんは酒ばかり飲んで…」と、村人からは敬遠される存在だったといいます。

しかしある日、事件が起きます。

村の娘が山賊に襲われたのです。その時、自分の命を顧みず、命がけで娘を救い出したのが、他ならぬこの虚無僧でした。

彼はただの酔っ払いではなく、正義感を秘めた人物だったのです。


🤕 「酒を供えてくれれば…」最期の願いとご利益

実は、彼が酒を飲んでいたのには、悲しい理由がありました。

弘化3年(1846年)、虚無僧は「脳病(ひどい頭痛)」に苦しみ、痛みのあまり川棚川の河原にある大岩に何度も頭を打ち付けて倒れてしまいます。

息を引き取る間際、彼はこう言い残しました。

「私の墓を建てて酒を供えてくれれば、あなたたちの苦しみを和らげてあげよう」

村人たちは初めて、彼が頭の痛みを紛らわせるために酒を飲んでいたことを知りました。

村人たちは感謝と哀悼の意を込めて墓を建て、今では**「頭痛封じ」**のご利益がある場所として、多くの人々が参拝に訪れています。


ℹ️ 基本情報&アクセス

川棚温泉への旅の途中で、伝説の僧侶に会いに行ってみませんか?

項目内容
スポット名虚無僧墓(こむそうばか)
所在地下関市豊浦町川棚中小野
ご利益頭痛封じ
お問い合わせ083-774-1211(豊浦町観光協会)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR山陰本線「川棚温泉駅」からバスで約16分、「虚無僧墓」バス停下車、徒歩すぐ
  • 【車】
    • JR「川棚温泉駅」から約11分
    • 中国自動車道「小月I.C」から約30分

💖 まとめ

村人から誤解されながらも、最期まで人々を救おうとした虚無僧。

その優しさは、今も「頭痛封じ」という形で受け継がれています。

頭痛に悩んでいる方、あるいは大切な人の健康を祈りたい方。

川棚の静かな里山で、虚無僧にお酒をお供えして、祈りを捧げてみてはいかがでしょうか?

【下関・川棚】絶世の美女が眠る場所?「小野小町の墓」に秘められた哀愁の伝説

世界三大美女の一人にも数えられる、平安時代の歌人・小野小町(おののこまち)。

その墓と伝わる史跡が、下関市豊浦町川棚の静かな山里にあることをご存知でしょうか?

全国各地に伝説が残るミステリアスな彼女ですが、ここ川棚に残る物語は、老いゆく美貌への苦悩と、晩年の心の平穏を描いた、切なくも美しいものです。

今回は、百人一首にも詠まれた絶世の美女の伝説と、その終焉の地を巡る歴史旅へご案内します。


🌸 老いさらばえた姿を見せたくない…。美貌ゆえの流浪

解説板に残る物語によると、かつて美貌を誇った小町も、歳月とともにその容色が衰えていきました。

自尊心の強かった彼女は、老いさらばえた自分の姿を人に見られることを嫌い、都を離れて全国を流浪する旅に出たといいます。

安住の地・川棚での晩年

長い旅の末、小町がたどり着いたのが、ここ川棚の地でした。

彼女は村人たちの温かさに触れ、この地でひっそりと暮らすことを決めます。

愛用の銅鏡を片時も離さず、鏡に映る自分の姿に無常を感じながら、静かにその生涯を閉じたと伝えられています。


🪞 墓石に残る「銅鏡」の伝説

このお墓の最大の特徴は、墓石の中央にはめ込まれた丸い石です。

これは、小町が肌身離さず持っていた愛用の銅鏡を表しているといわれています。

かつて自分の美しさを映し、そして老いゆく姿をも映し出した鏡。

それは彼女の美貌の象徴であると同時に、晩年の哀愁を今に伝える形見でもあります。

ちなみに、この辺りの**「小野」という地名も、小町に由来する**と言われています。


📜 百人一首に詠まれた「美の無常」

小野小町といえば、百人一首のこの歌が有名です。

花の色は 移りにけりな いたづらに

我が身世にふる ながめせし間に

桜の花が色あせていくように、自分の容色も衰えてしまった…という嘆きを歌ったこの歌は、まさにここ川棚での彼女の心情と重なります。

華やかな伝説の裏にある、一人の女性としての切ない想いに触れられるスポットです。


ℹ️ 基本情報&アクセス

小野小町の墓は全国に点在しており、その生涯は多くの謎に包まれています。

ここ川棚の墓も、そんな歴史ロマンの一つ。川棚温泉からのアクセスも良好です。

項目内容
スポット名小野小町の墓
所在地下関市豊浦町川棚中小野
お問い合わせ083-774-1211(豊浦町観光協会)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR山陰本線「川棚温泉駅」からバスで約16分、「虚無僧墓」バス停下車、徒歩すぐ
  • 【車】
    • JR「川棚温泉駅」から約11分
    • 中国自動車道「小月I.C」から約30分

💖 まとめ

美しさを極めたがゆえの孤独と、旅の果てに見つけた安息の地。

下関・川棚に残る小野小町の墓は、華やかなイメージとは違う、彼女の静かな晩年を想像させてくれます。

川棚温泉でリフレッシュした後は、歴史のミステリーに思いを馳せる散策に出かけてみませんか?

【下関】樹齢1000年の巨木!愛馬が眠る「霊馬の森」伝説

下関の奥座敷、川棚温泉。

その近くにある下小野地区に、樹齢1000年を超える巨大なクスの木が守る、神秘的な森があるのをご存知でしょうか?

その名は「霊馬の森(れいばのもり)」。

ここには、戦国時代の領主・大内義隆公に愛された名馬「雲雀毛(ひばりげ)」が眠っています。

今回は、母を求めて海を渡ったという野生の馬の伝説と、主君と共に戦い散った悲劇の物語、そして静寂に包まれた巨木のパワースポットをご紹介します。


🐎 野生の名馬「雲雀毛」の数奇な運命

物語の始まりは、天文12年(1543年)。

御崎山の牧場で生まれた一頭の馬「雲雀毛」は、幼くして母馬を失います。

母を求めて海を渡り、険しい岩山を駆け巡るその姿は、見る人々を驚嘆させました。

荒馬を乗りこなした武将

その噂は、当時の防長二州(現在の山口県など)の領主、**大内義隆(おおうちよしたか)**公の耳にも届きます。

家臣たちはこの名馬を生け捕りにしようとしますが、野生の荒馬である雲雀毛は容易には捕まりません。

最後に、金田三郎乗貞という武将がその怪力をもって、ようやく捕獲に成功したといわれています。


⚔️ 戦国の世に散った命と「クスの巨木」

調教された雲雀毛は、義隆公の愛馬として常にそばに仕えました。

しかし、天文20年(1551年)、家臣である陶晴賢(すえはるかた)の謀反により、運命は暗転します。

主君を守り、傷ついた最期

山口を追われ、各地を転戦した義隆公と雲雀毛。

川棚ヶ原での戦いにおいて、雲雀毛は深い傷を負い、その命を落としてしまいます。

愛馬の死を深く悲しんだ義隆公は、武将たちに命じ、鬱蒼と茂る大樹の下に手厚く埋葬させました。

樹齢1000年の天然記念物

雲雀毛が眠るその場所にあるのが、樹齢1000年余りと言われるクスの巨木です。

大正11年(1922年)には史蹟名勝天然記念物にも指定されました。

この森は「霊馬の森」と呼ばれ、毎年3月28日には慰霊祭が行われ、今も愛馬の魂を慰めています。


🍃 山頭火も訪れた歴史の地

森には、放浪の俳人・種田山頭火の句碑もひっそりと佇んでいます。

また周辺には、敗走した義隆公が隠れ住んだとされる「岩谷ヶ浴八丈岩」などの史跡も残されており、歴史の儚さとロマンを感じながら散策することができます。


ℹ️ 基本情報&アクセス

川棚温泉から車でわずか8分。

温泉でリラックスした後に、静かな森で巨木のパワーと歴史の物語に触れてみませんか?

項目内容
スポット名霊馬の森(れいばのもり)
所在地下関市豊浦町川棚下小野
見どころ雲雀毛の墓、クスの巨木(天然記念物)、山頭火句碑
お問い合わせ083-774-1211(豊浦町観光協会)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR山陰本線「川棚温泉駅」からバスで約11分、「浜井場」バス停下車、徒歩6分
  • 【車】
    • JR「川棚温泉駅」から約8分
    • 中国自動車道「小月I.C」から約26分

💖 まとめ

母を求めて海を渡り、主君のために戦場を駆けた名馬「雲雀毛」。

樹齢1000年の巨木の下で眠るその伝説は、訪れる人に静かな感動を与えてくれます。

川棚温泉への旅の途中で、この神秘的な森に立ち寄り、悠久の時に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

【角島】鬼が投げた巨石!?「鬼の岩」伝説と手形を探す旅

絶景スポットとして大人気の山口県・角島(つのしま)。

コバルトブルーの海にかかる角島大橋が有名ですが、実はこの島には、古くから語り継がれる**「鬼」にまつわる不思議な伝説**があるのをご存知ですか?

海岸にそびえ立つ奇岩「鬼の岩」。

そこには、鬼たちの壮大な挑戦と、神様のちょっとした「いたずら」の物語が秘められています。

今回は、絶景だけじゃない、角島のミステリアスな歴史ロマンをご紹介します!


👹 鬼 vs 神様!一夜限りの「埋め立て工事」バトル

昔々、島戸(しまど)の高坪山に住む鬼たちが、村人を困らせていました。

困り果てた村人たちは、住吉大神(すみよしおおかみ)に相談。そこで大神は、鬼たちにある「賭け」を持ちかけます。

「一晩のうちに島戸と角島の間の海を陸続きにすることができたら、何でも望みのものをやろう。じゃが、できなかったら山から追放するぞ。」

あと一歩で…神様のいたずら

鬼たちは喜んで挑戦!夜通し岩を海に投げ込み、海はみるみる陸地へと変わっていきました。

しかし、あと少しで完成という時、大神は鶏の鳴き真似をして、「もう夜が明けてしまった」と告げます。

騙されたとも知らず、鬼たちは力尽きてその場に座り込んでしまいました。

この時、鬼が投げ込んだ岩が、今も「鬼の岩」として残っていると言われています。


✋ 岩に残る「鬼の手形」を探してみよう

この伝説の岩は、角島小学校の近くにあります。

実際に訪れてみると、その大きさや迫力に圧倒されるはずです。

そして、よーく観察してみてください。

岩には**「鬼の手形」**が残っていると言われています。

鬼が怪力で岩を掴んだ痕跡を見つければ、伝説がよりリアルに感じられるかもしれません。


🚗 あわせて巡りたい!角島の周辺スポット

鬼の岩を訪れたら、角島の美しい自然も満喫しましょう。

  • 角島大橋: 日本海に浮かぶ絶景の橋
  • 角島灯台: 歴史ある石造りの灯台
  • 海士ヶ瀬(あまがせ): 干潮時に現れる神秘的な道
  • めのうロード: 美しいめのうが拾える海岸

ℹ️ 基本情報&アクセス

項目内容
スポット名鬼の岩
所在地山口県下関市豊北町角島(角島小学校近く)
見どころ鬼の手形、奇岩の迫力

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR山陰本線「特牛(こっとい)駅」から角島行バスで約21分、「学校横」下車、徒歩5分
  • 【車】
    • 中国自動車道「小月I.C」から約71分
    • 中国自動車道「下関I.C」から約80分

💖 まとめ

美しい海を埋め立てようとした鬼たちの熱意と、それを知恵(?)で阻止した神様の物語。

「鬼の岩」は、角島の風景に深みを与えてくれるユニークなスポットです。

次のドライブでは、絶景の裏に隠された「鬼の痕跡」を探しに行ってみませんか?

【下関】平家の怨念と盲目の法師。「耳なし芳一」の舞台・赤間神宮で感じる怪談ロマン

日本の怪談の中でも、特に有名で恐ろしい物語「耳なし芳一(みみなしほういち)」。

盲目の琵琶法師が、平家の亡霊に魅入られ、その両耳を奪われてしまう……。誰もが一度は聞いたことのあるこの物語の舞台が、山口県下関市にあることをご存知でしょうか?

その場所とは、竜宮城のような美しい門で知られる「赤間神宮(あかまじんぐう)」。

源平合戦最後の地・壇ノ浦を望むこの神社には、芳一を祀る「芳一堂」があり、今も多くの参拝者が訪れています。

今回は、悲劇の歴史と怪談が交差するミステリアスなスポット、赤間神宮と芳一伝説の謎に迫ります。


👻 亡霊を泣かせた琵琶の音色。芳一の悲劇

物語の主人公・芳一は、赤間神宮の前身である「阿弥陀寺」に住んでいた盲目の琵琶法師でした。

彼は琵琶の弾き語りの名手として評判で、毎晩のように「平家物語」を語り、琵琶を奏でていました。

謎の人物からの招待

ある夜、芳一のもとに謎の人物が現れ、高貴な方への演奏を依頼します。

連れて行かれた先で、芳一は渾身の演奏を披露。そのあまりに美しく悲しい音色は、集まった人々を涙させました。

しかし、彼が演奏していた相手は、この世の者ではありませんでした。

そこは、壇ノ浦の戦いで滅亡した平家一門の亡霊たちの宴の席だったのです。

奪われた両耳

亡霊たちは芳一の琵琶に魅了され、彼を自らの世界(冥府)へと引きずり込もうとします。

異変に気づいた和尚が芳一の全身にお経を書き魔除けを行いましたが、唯一「耳」にだけ書き忘れてしまいました。

その結果、芳一は亡霊に両耳をもぎ取られてしまうのです。


🌊 壇ノ浦の戦いと平家の怨念

なぜ、この場所で怪談が生まれたのでしょうか?

それは、目の前に広がる関門海峡が、源平合戦のクライマックス「壇ノ浦の戦い」の舞台だからです。

この戦いで、平家一門は源氏軍に敗れ、幼い安徳天皇と共に海へと沈み滅亡しました。

赤間神宮は、その入水した安徳天皇を祀る神社。

「平家物語」は、この悲劇的な戦いの記憶と、無念の死を遂げた平家一門の怨念を語り継ぐ物語であり、芳一伝説はその怨念を象徴するエピソードとして現代に伝わっています。


📚 小泉八雲が描いた「死と生の境界線」

この伝説を世界に広めたのが、日本文化を愛したイギリス人作家、**小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)**です。

彼の著書『怪談』の中で紹介された「耳なし芳一」は、単なる怖い話ではなく、人間の業の深さや、死者と生者の境界線を描いた文学作品として高く評価されています。

琵琶は古来より、死者を呼び覚ます力を持つ楽器と信じられてきました。

芳一の奏でる音色は、海底に眠る平家の魂を呼び起こし、現世へと導いてしまったのかもしれません。


ℹ️ 基本情報&アクセス

赤間神宮の境内には、芳一の木像が祀られた「芳一堂」があります。

静かに手を合わせ、琵琶の音色に耳を澄ませてみてはいかがでしょうか。

項目内容
スポット名赤間神宮(芳一堂)
所在地山口県下関市阿弥陀寺町4-1
お問い合わせ083-231-4138(赤間神宮)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約9分、「赤間神宮前」下車、徒歩すぐ

💖 まとめ

美しい朱色の神社に秘められた、悲しくも恐ろしい怪談の物語。

現地を訪れれば、潮騒の向こうから、芳一の琵琶の音が聞こえてくるような気がします。

下関観光の際は、歴史と伝説が息づく赤間神宮で、少し背筋が凍るような歴史ロマンに浸ってみませんか?

【下関・豊田】源義経が密かに埋葬した!?伝説の「安徳天皇 西市御陵墓」

源平合戦の悲劇の舞台、壇ノ浦。

そこでわずか8歳にして入水された安徳天皇ですが、実はそのご遺体が流れ着き、源義経によって密かに埋葬されたという伝説が、下関市豊田町の山里に残されているのをご存知でしょうか?

その場所は「安徳天皇 西市御陵墓(にしいちごりょうぼ)」。

宮内庁からも「参考地」として指定されている、知る人ぞ知る歴史ミステリーの地です。

バス停の名前もズバリ「天皇様」。

今回は、静かな山里に眠るもう一つの安徳天皇伝説をご紹介します。


🌊 漁師の網にかかったご遺体。義経の極秘指令

物語は、寿永4年(1185年)3月24日の壇ノ浦の戦いから始まります。

二位の尼に抱かれて海へ消えた安徳天皇。

勝利した源義経は、直ちに天皇と三種の神器の捜索を命じました。

3月28日の発見

長門国中の海人(あま)を動員して捜索した結果、3月28日、沢江浦(現在の長門市三隅)から来ていた海人の網に、天皇のご遺体がかかりました。

(※残念ながら、宝剣は見つかりませんでした)

報告を受けた義経は、人目を避けるため、密かにこの地吉(じよし)の丸尾山にご遺体を埋葬させたと言われています。

赤間神宮(阿弥陀寺)とは異なる、もう一つの埋葬伝説です。


🏛️ 宮内庁も指定。「天皇様」という地名

この伝説を裏付けるかのように、昭和2年(1927年)、この地は宮内省(現・宮内庁)から**「安徳天皇西市陵墓参考地」**として公式に指定されました。

上円下方墳の御陵

丸尾山の南半分を占める御陵は、「上円下方墳(じょうえんかほうふん)」という形式で築かれています。

上円部はやや崩れていますが、ここがただの場所ではないことを静かに物語っています。

最寄りのバス停の名前が**「天皇様(てんのうさま)」**であることも、地元の人々がいかにこの場所を大切に守り伝えてきたかの証と言えるでしょう。


ℹ️ 基本情報&アクセス

豊田湖畔公園などへのドライブの途中に、歴史のミステリーに触れてみませんか?

項目内容
スポット名安徳天皇 西市御陵墓(参考地)
所在地下関市豊田町地吉
指定宮内庁陵墓参考地
お問い合わせ083-766-1056(豊田総合支所地域振興課)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「小月駅」からバスで約62分、「天皇様」下車、徒歩5分
    • JR「長門市駅」からバスで約45分、「天皇様」下車、徒歩5分
  • 【車】
    • 中国自動車道「小月I.C」から約39分

💖 まとめ

華やかな赤間神宮とは対照的に、山里でひっそりと眠る安徳天皇の伝説。

「天皇様」というバス停に降り立った瞬間、800年前の悲劇と、幼き帝を弔った人々の想いが胸に迫ります。

下関・豊田町を訪れた際は、ぜひこの静寂の聖地に手を合わせに行ってみてください。