寿永四年(1185)三月二十四日、平家は壇の浦を最後の決戦場として戦いにのぞんだが、抗しきれず安徳天皇は二位の尼にいだかれて入水されました。
義経は、直ちに安徳天皇と三種の神器捜索を命じ、御鏡は安徳天皇の御座船で発見、御玉は箱に納められていたので、海上に浮かんでいるのを拾い上げたが、宝剣は安徳天皇とともに海中にあるため、長門の国一円の網引き海人を招集して、付近の海を捜索しました。
三月二十八日、沢江浦(長門市三隅町)から来ていた海人の網に天皇の御遺体がかかりましたが、宝剣は発見することが出来ませんでした。そこで、義経は密かに地吉の丸尾山に御遺体を埋葬させたと言われています。
上円部がやや崩れているが、丸尾山の南半分を占める上円下方墳の御陵が築かれていたもので、昭和二年十一月三十日、宮内省から「安徳天皇西市陵墓参考地」と指定されています。
所在地 下関市豊田町地吉
交通 JR山陽本線小月駅からバス62分「天皇様」下車、徒歩5分
JR山陰本線長門市駅からバス45分「天皇様」下車、徒歩5分
中国自動車道小月ICから39分
問い合わせ 豊田総合支所地域振興課 083-766-1056