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【下関】赤間神宮の境内にひっそりと。満州から帰還した「大連神社」の数奇な運命

下関の代表的な観光名所、竜宮城のような楼門で有名な「赤間神宮」。

その境内の奥まった場所に、かつて中国・満州の地を見守り、戦後、奇跡的に日本へと帰還した神社があるのをご存知でしょうか?

その名は「大連(だいれん)神社」。

明治時代、満州国大連市の総氏神として創建され、戦後の混乱期を経て、ここ下関の地に鎮座することになった数奇な運命を持つ神社です。

今回は、歴史のロマンと平和への願いを感じる、知る人ぞ知るパワースポット「大連神社」をご紹介します。


🌊 海を渡って帰ってきた神様

大連神社はもともと、明治39年(1906年)、日露戦争後に満州(現在の中国東北部)の玄関口である大連市に創建されました。

当時、大連に暮らす多くの日本人の心の拠り所(総氏神)として親しまれていました。

宮司が守り抜いたご神体

終戦後の昭和22年(1947年)、大連神社の運命は大きく動きます。

当時の宮司であった水野久直氏の手によって、ご神体と神宝が大切に日本へと持ち帰られたのです。

混乱の中、海を渡って無事に日本へ帰り着いたことは、まさに奇跡と言えるでしょう。

帰国後は、一時福岡県の**筥崎宮(はこざきぐう)**に仮安置されましたが、その後、水野氏が赤間神宮の宮司に就任した縁で、この下関の地に祀られることになりました。


⛩️ 社殿は「伊勢神宮」からの贈り物

現在の大連神社の社殿にも、すごい秘密があります。

実はこの建物、あの伊勢神宮から譲り受けたものなのです!

昭和48年に行われた伊勢神宮の「第60回神宮式年遷宮」の際に古社殿を譲り受け、昭和55年(1980年)に現在の場所(赤間神宮本殿の北東)に移築されました。

満州からの帰還、そして伊勢神宮からの移築。二重の歴史を持つ、非常に珍しく尊い社殿です。


ℹ️ 基本情報&アクセス

赤間神宮を参拝する際は、ぜひ境内の奥まで足を運んでみてください。

項目内容
スポット名大連神社(だいれんじんじゃ)
場所赤間神宮 境内(本殿北東)
(山口県下関市阿弥陀寺町9)
拝観料無料
お問い合わせ083-231-4138(赤間神宮)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約10分、「赤間神宮前」下車すぐ
  • 【車】
    • 中国自動車道「下関I.C」から約15分(赤間神宮駐車場あり)

💖 まとめ

中国・大連から海を渡り、伊勢神宮の古材で再建された「大連神社」。

赤間神宮の華やかさとは対照的に、静かに佇むその姿からは、激動の時代を生き抜いた力強さと、平和への深い祈りが感じられます。

下関観光の際は、ぜひ赤間神宮とあわせてお参りし、歴史のドラマに思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

 

【下関】弘法大師ゆかりの「附野薬師」と奇岩「俵石」の絶景

山口県下関市豊北町、美しい海士ヶ瀬(あまがせ)を眼下に望む丘の上に、弘法大師空海ゆかりの古刹「附野薬師東山寺(つくのやくしとうざんじ)」があります。

ここには、眼病治癒のパワースポットとしての信仰だけでなく、自然が作り出した不思議な巨石「俵石(たわらいし)」や、幕末の志士・吉田松陰も愛した庭園など、見どころが満載です。

今回は、歴史と自然、そして信仰が織りなす神秘の空間をご紹介します。


🙏 弘法大師伝説と「眼病治癒」のパワースポット

嵐を鎮めた薬師如来

寺の縁起は古く、平安時代の806年にさかのぼります。

唐から帰国した弘法大師空海が、この地で暴風雨に遭遇した際、自ら彫刻した薬師如来に祈ると嵐が収まったという伝説が残されています。

大師が無事に上陸し、尊像を安置したことが、この寺の始まりであり、「附野(つくの)」という地名の由来になったとも言われています。

目の神様として信仰を集める

また、江戸時代には夢のお告げにより眼病治癒の灸が授けられたことから、現在でも眼病治癒や安産、航海安全の霊仏として多くの信仰を集めています。

秘仏である御本尊は、7年に一度だけ御開帳されます。


🪨 まるで積み上げた俵!?奇岩「俵石」

境内でひときわ目を引くのが、下関市指定文化財でもある「俵石(たわらいし)」です。

自然が生んだ造形美

玄武岩特有の「柱状節理」と呼ばれる割れ目が横方向に走っており、その姿はまるで米俵を積み重ねたよう。自然の力が作り出したユニークで神秘的な景観は必見です。

吉田松陰も愛した「観涛園」

この俵石を含む庭園は「観涛園(かんとうえん)」と呼ばれ、明治維新の先覚者・吉田松陰も訪れています。

松陰先生はこの景色に感銘を受け、「播き尽きぬ宝の種や俵石」という歌を詠み残しました。


ℹ️ 基本情報&アクセス

海を望む絶好のロケーションで、歴史と自然のパワーを感じてみませんか?

項目内容
スポット名附野薬師東山寺(つくのやくしとうざんじ)
所在地下関市豊北町神田附野
ご利益眼病治癒、安産、航海安全
文化財俵石(下関市指定文化財)
お問い合わせ083-786-0243

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR山陰本線「特牛(こっとい)駅」からバスで約13分、「薬師寺」バス停下車、徒歩2分
  • 【車】
    • 中国自動車道「下関I.C」から約72分

💖 まとめ

弘法大師が開いた歴史ある寺院と、自然のアート「俵石」。

眼下に広がる海士ヶ瀬の絶景とともに、心身を癒やすひとときを過ごせるスポットです。

近くには絶景で有名な「角島大橋」もありますので、ドライブの立ち寄りスポットとしてもおすすめですよ!

【下関】龍神の珠が島になった!?「満珠・干珠」伝説と源平合戦の舞台

下関市長府の沖合、関門海峡にぽっかりと浮かぶ二つの小島。

「満珠(まんじゅ)・干珠(かんじゅ)」と呼ばれるこの島々には、まるでファンタジー映画のような壮大な「魔法の珠(たま)」の伝説が残されています。

さらにここは、歴史を変えた「源平合戦」の重要な舞台でもありました。

今回は、神話と歴史が交差するミステリアスな島、満珠・干珠の物語と、その姿を一番美しく見られる絶景スポットをご紹介します!


🐉 龍神から授かった「2つの珠」の伝説

その昔、この国に朝鮮から新羅(しらぎ)の大軍が攻めてきた時のこと。

立ち向かった神功皇后(じんぐうこうごう)は、龍神から2つの不思議な珠を授かりました。

その珠の名は、「潮干る珠(しおひるたま)」と「潮満る珠(しおみつるたま)」

魔法のような潮のコントロール

皇后は、船で近づいてくる敵軍に対し、まず「潮干る珠」を使いました。すると潮が引き、敵船は足止めを食らいます。

敵が船を降りて攻め込もうとしたその瞬間、今度は「潮満る珠」を使いました。すると潮が一気に満ち、新羅軍はひとたまりもなく滅ぼされたといいます。

勝利の後に生まれた島

その後、新羅へ渡り勝利を収めて凱旋した皇后が、役目を終えた2つの珠を海に返すと、それが現在の二つの島(満珠・干珠)になったと伝えられています。


⚔️ 源平合戦「源氏の本陣」となった場所

この島は、神話だけでなく実際の歴史の舞台でもあります。

平家が滅び、武士の時代が幕を開けた「壇ノ浦の源平船合戦」。

この戦いで、海峡の複雑な潮の流れを知り尽くしていた長府・串崎の水軍は、源氏(源義経軍)に味方しました。

そして、源氏軍はこの満珠・干珠島の周辺に本陣を構え、平家軍を迎え撃ったといわれています。

現在は忌宮神社(いみのみやじんじゃ)の飛び地境内となっており、島に生い茂る原生林は国の天然記念物にも指定されている、神聖な場所です。


📸 2つの島が寄り添う!おすすめビュースポット

満珠・干珠は関門海峡のいたるところから見えますが、特に「形が良く見える」とされる特等席があります。

  • 豊功神社(とよことじんじゃ)
  • 御船手海岸(みふねてかいがん)

この場所から眺めると、二つの島が仲良く寄り添うように見え、海峡の景色と相まって最高のフォトスポットになります。


ℹ️ 基本情報&アクセス

長府散策の際は、海の方を眺めて、この伝説の島を探してみてください。

項目内容
スポット名満珠・干珠島(まんじゅ・かんじゅじま)
所在地下関市長府沖
指定国の天然記念物(樹木)、忌宮神社飛び地境内
お問い合わせ083-246-1120(長府観光会館)

🚗 アクセス(ビュースポットまで)

  • 【豊功神社・御船手海岸】
    • JR「長府駅」からバスで約9分、「松原」バス停下車、徒歩7~10分
    • JR「下関駅」からバスで約21分、「松原」バス停下車、徒歩7~10分

💖 まとめ

龍神の珠が姿を変えたという伝説の島、満珠・干珠。

源平の兵(つわもの)たちも見たであろうその風景は、今も変わらず関門海峡に浮かんでいます。

長府の歴史散策の合間に、海風を感じながら、神話と歴史のロマンに浸ってみませんか?

【下関】高杉晋作が本陣を置いた場所。「東光寺」で維新の風を感じる

幕末の風雲児・高杉晋作。彼が率いる「奇兵隊」が、歴史を動かすクーデターの最中に拠点を置いたお寺が、下関駅の近くにあることをご存知ですか?

下関市豊前田にある「東光寺(とうこうじ)」。

ここは、維新の転換点となった「功山寺挙兵」の直後、高杉晋作らが本陣を構えた歴史的な舞台です。

今回は、志士たちが駆け抜けた熱い歴史と、高台からの絶景を楽しめる穴場スポット「東光寺」をご紹介します。


⚔️ 功山寺挙兵、そして「東光寺」へ

元治元年(1864年)、長州藩の改革を目指した高杉晋作は、功山寺で挙兵し、新地会所を襲撃しました。

当初は近くの「了円寺」に立てこもっていましたが、続々と合流する同志たちで手狭になったため、本陣をこの「東光寺」へと移したのです。

多くの志士たちが集い、熱く日本の未来を語り合い、戦略を練った場所。

境内を歩けば、当時の緊迫感と熱気が伝わってくるようです。


🔭 高杉も見た?高台から望む下関の絶景

東光寺は高台に位置しており、下関市街を一望できる絶景スポットとしても知られています。

眼下に広がる街並みを見下ろしながら、高杉晋作もここで策を巡らせていたのかもしれません。

歴史に思いを馳せながら眺める景色は、きっと格別なものになるはずです。


ℹ️ 基本情報&アクセス

JR下関駅から徒歩圏内というアクセスの良さも魅力です。

項目内容
スポット名東光寺(とうこうじ)
所在地山口県下関市豊前田1丁目1-23
関連人物高杉晋作、奇兵隊
お問い合わせ083-222-2153

🚗 アクセス

  • 【徒歩】
    • JR「下関駅」から徒歩約9分

💖 まとめ

奇兵隊の本陣として、維新回天の歴史を見守ってきた「東光寺」。

高台からの眺めと歴史ロマンを同時に味わえる、下関観光の隠れた名所です。

下関駅周辺を散策する際は、少し足を伸ばして、高杉晋作ゆかりの地を訪ねてみてはいかがでしょうか?

【下関・彦島】吉田松陰も訪れた!壁のような急勾配「金比羅本宮」の石段に挑む

下関市彦島、福浦湾を見下ろす兜山(かぶとやま)に、知る人ぞ知る歴史と試練のスポットがあります。

その名は「金比羅本宮(こんぴらほんぐう)」。

ここには、下から見上げると境内が全く見えないほどの「壁のような急勾配」の石段があり、かつては幕末の志士・吉田松陰も訪れたという由緒ある場所です。

今回は、海防の守り神として創建され、歴史のロマンと健脚への挑戦が待つ金比羅本宮をご紹介します。


🧗 角度40度!?空へ続く「270段」の石段

この神社最大の特徴は、鳥居をくぐった先に待ち受ける石段です。

その数、約270段。

しかし、ただ段数が多いだけではありません。なんと傾斜が約40度というものすごい急勾配なのです。

下から見上げると、石段が空に向かって垂直に伸びているようで、その先にあるはずの境内や社殿は全く見えません。

まさに「修行」のような道のりですが、一歩一歩登りきった時の達成感は格別です。

(※足元には十分ご注意ください!)


📜 吉田松陰も登った!『廻浦紀略』に残る記録

実はこの神社、幕末の志士・吉田松陰ゆかりの地でもあります。

嘉永2年(1849年)、藩の命令で北浦・下関一帯の海防調査を行っていた松陰は、7月16日にこの金比羅宮を参拝しました。

北前船の寄付で作られた石段

松陰が残した記録『廻浦紀略(かいほきりゃく)』には、当時の様子が記されています。

当時はまだ石段が完成しておらず、北前船からの寄付金によって少しずつ段数が増やされていたそうです。

松陰が訪れた時は「160余段」あり、「完成すれば200段ばかりにもなろう」と書き残しています。

私たちが今登っている石段は、当時の人々の信仰と寄付の結晶であり、若き日の松陰も踏みしめた歴史の道なのです。


🌊 かつては絶景「富観台」。今は…?

金比羅本宮は、文政2年(1819年)に長府藩主・毛利元義公が、海防と港の繁栄を願って長府からこの地に遷座させました。

境内には「福浦富観台記の碑」があり、かつてここが「富観台」と呼ばれる絶景スポットだったことを伝えています。

当時は頂上から、六連島(むつれじま)や蓋井島(ふたおいじま)、対岸の九州までを一望できたそうですが、現在は樹木が大きく成長し、残念ながらその眺望を見ることはできません。

しかし、鬱蒼と茂る木々の向こうに、かつての侍たちが見た海を想像するのも、また一興かもしれません。


ℹ️ 基本情報&アクセス

歴史ロマンと体力自慢の方におすすめのスポットです。

項目内容
スポット名金比羅本宮(こんぴらほんぐう)
所在地下関市彦島福浦本町
見どころ急勾配の石段、吉田松陰ゆかりの地
お問い合わせ083-231-4141(下関観光情報センター)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約14分、「福浦本町」バス停下車、徒歩2分
  • 【車】
    • 中国自動車道「下関I.C」から約14分

💖 まとめ

吉田松陰も仰ぎ見たであろう、壁のような石段。

金比羅本宮は、彦島の歴史と、港の安全を願った人々の想いが積み重なった場所です。

下関観光の際は、動きやすい靴を履いて、この歴史の石段にチャレンジしてみませんか?

【下関】国宝の本殿は必見!「住吉神社」で戦国武将の寄進と歴史を感じる旅

下関市にある「住吉神社(すみよしじんじゃ)」は、ただの神社ではありません。

ここは、「長門一の宮(ながといちのみや)」として古くから崇敬されてきた格式高い神社であり、なんと本殿が「国宝」に指定されているすごい場所なんです。

創建の伝説は日本書紀にまでさかのぼり、新羅から凱旋した神功皇后が住吉三神を祀ったことが始まりとされています。

今回は、戦国武将たちも大切にした国宝建築と、歴史ロマンあふれる境内の魅力をご紹介します!


🏛️ 日本でも珍しい!国宝「九間社流造」の本殿

境内に入ってまず注目したいのが、国宝に指定されている「本殿」です。

この建物は、応安3年(1370年)に、室町時代の大名・**大内弘世(おおうちひろよ)**によって造営されました。

ここが凄い!

  • 建築様式: 「九間社流造(くげんしゃながれづくり)」という、全国でも非常に珍しい造りです。
  • 保存状態: 室町時代初期の面影を今によく留めており、その美しさと歴史的価値から国宝に指定されています。

⚔️ 毛利元就が寄進!重要文化財の「拝殿」

本殿の手前にある「拝殿」も、見逃せない歴史遺産です。

こちらは、戦国時代の知将として有名な**毛利元就(もうりもとなり)**が、天文8年(1539年)に寄進したもの。

檜皮葺き(ひわだぶき)の趣ある屋根が特徴で、こちらも国の重要文化財に指定されています。

大内氏や毛利氏といった歴史上のビッグネームが関わっていることからも、この神社の重要性が伝わってきますね。


🌾 四季を彩る伝統のお祭り

住吉神社では、古くから伝わる神事も大切に受け継がれています。

  • 旧暦元旦: 「和布刈(めかり)祭」
  • 5月: 「お田植祭」
  • 12月: 「河渡(かわたり)祭」

また、宝物館には「銅鐘」や「金銅牡丹唐草透唐鞍(こんどうぼたんからくさすかしからくら)」などの重要文化財も収められており、その深い歴史と社格を偲ばせます。


ℹ️ 基本情報&アクセス

新下関駅からも近く、アクセス良好です。国宝パワーを感じに訪れてみませんか?

項目内容
スポット名住吉神社(長門一の宮)
所在地下関市一の宮住吉1-11-1
文化財本殿(国宝)、拝殿(重要文化財)など
お問い合わせ083-256-2638

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「新下関駅」からバスで約3分、「一の宮」バス停下車、徒歩6分

💖 まとめ

国宝の本殿に、毛利元就ゆかりの拝殿。

下関の住吉神社は、建築美と歴史ロマンが凝縮されたパワースポットです。

美しい社殿を眺めながら、悠久の時を超えて受け継がれてきた「一の宮」の空気に触れてみてはいかがでしょうか?

【新下関】毛利元就の妻が眠る場所。歴史の陰に咲いた「普賢寺」の物語

新幹線の停車駅でもある「新下関駅」。

近代的な駅の周辺に、戦国時代を代表する智将・**毛利元就(もうりもとなり)**ゆかりの寺院がひっそりと佇んでいるのをご存知ですか?

駅から徒歩わずか7分の場所にある「普賢寺(ふげんじ)」。

ここは、元就を支えた継室(後妻)・**乃美大方(のみのおおかた)**の菩提寺として、長府毛利家のルーツを今に伝える場所です。

今回は、駅からのお散歩コースにもぴったりな、戦国の女性の歴史を巡る旅へご案内します。


👘 毛利家を支えた女性「乃美大方」とは?

乃美大方は、毛利元就の正室・妙玖(みょうきゅう)が亡くなった後、小早川家臣の乃美氏から継室として嫁いだ女性です。

彼女は元就との間に、四男・元清、七男・元政、九男・秀包という3人の男の子をもうけました。

長府藩祖・毛利秀元の「おばあちゃん」

特に重要なのが、四男の**元清(もときよ)です。

彼は、後に長府藩の初代藩主となる毛利秀元(ひでもと)**の父にあたります。

つまり、乃美大方は長府藩祖・秀元にとっての祖母。このお寺は、長府毛利家の始まりに深く関わる、とても大切な場所なのです。


🪦 2つの場所に眠る魂。「灰塚」の秘密

普賢寺は、慶長6年(1601年)に下関市秋根で亡くなった乃美大方を弔うために建立されました。

功山寺と普賢寺の関係

歴史ファンなら「毛利家の墓所といえば長府の功山寺では?」と思うかもしれません。

確かに、乃美大方の本墓は長府の功山寺にあります。

しかし、ここ普賢寺の道路を隔てた東側墓地には、彼女の**「灰塚(はいづか)」**が残されているのです。

華やかな功山寺とは対照的に、静かに彼女を偲ぶことができるもう一つの聖地。

両方を訪れることで、彼女の生涯により深く触れることができるでしょう。


ℹ️ 基本情報&アクセス

新幹線の待ち時間や、新下関エリアの散策ついでに気軽に立ち寄れます。

項目内容
スポット名普賢寺(ふげんじ)
所在地下関市秋根本町 1-2-8
由緒乃美大方(毛利元就継室)の菩提寺
お問い合わせ083-256-2956

🚗 アクセス

  • 【徒歩】
    • JR「新下関駅」から徒歩7分

💖 まとめ

戦国の世を生き、毛利家を支えた女性、乃美大方。

新下関の街角に残る「普賢寺」は、そんな彼女の想いが静かに眠る場所です。

駅から歩いて行ける歴史散策。

少し時間をとって、戦国ロマンの余韻に浸ってみませんか?

【下関】明治天皇の叔父とラストエンペラーの弟が眠る聖地「中山神社」

下関市綾羅木(あやらぎ)の静かな住宅街に、日本の幕末と中国の清朝末期、激動の歴史を背負った二つの魂が寄り添うように祀られている場所があります。

その名は「中山神社(なかやまじんじゃ)」と、その境内にある「愛新覚羅社(あいしんかくらしゃ)」。

明治維新の先駆者である公卿と、映画『ラストエンペラー』でも知られる清朝皇帝の弟。

時代も国も越えて、不思議な縁で結ばれたこの聖地の歴史ミステリーをご紹介します。


⚔️ 明治天皇の叔父!幕末の風雲児「中山忠光」

中山神社の祭神は、**中山忠光(なかやまただみつ)**という人物です。

彼はなんと、明治天皇の叔父にあたる高貴な身分の公卿でした。

尊王攘夷に燃えた若き貴公子

公家でありながら武芸を好み、尊王攘夷(そんのうじょうい)運動に身を投じた「幕末の風雲児」。

天誅組(てんちゅうぐみ)の変などで活躍しましたが、元治元年(1864年)、逃げ延びた長州藩で俗論党(保守派)によって暗殺されてしまいます。

中山神社は、志半ばで倒れた彼の遺志を継ぎ、その精神を後世に伝えるために建立されました。


🇨🇳 ラストエンペラーの弟と「流転の王妃」

境内にひっそりと佇む「愛新覚羅社」。

ここには、清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)の弟である**愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ)と、その妻・浩(ひろ)、そして長女の慧生(えいせい)**が祀られています。

忠光と浩の深いつながり

なぜ、中国皇族の社がここにあるのでしょうか?

実は、妻の浩(嵯峨浩)は、**中山忠光の曾孫(ひまご)**にあたるのです。

国境を超えた政略結婚、満州国の崩壊、離れ離れの日々…。『流転の王妃』として知られる浩と溥傑の数奇な運命は、最終的に祖先である忠光のそばで安らぎを得ることとなりました。

ここは、日中両国の歴史と絆を今に伝える貴重な場所です。


ℹ️ 基本情報&アクセス

綾羅木駅から徒歩圏内。歴史ファンならずとも訪れておきたいパワースポットです。

項目内容
スポット名中山神社・愛新覚羅社
所在地下関市綾羅木本町7-10-8
祭神中山忠光、愛新覚羅溥傑・浩・慧生
お問い合わせ083-253-0704

🚗 アクセス

  • 【電車】
    • JR山陰本線「綾羅木(あやらぎ)駅」から徒歩12分
  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約31分、「綾羅木中山神社前」下車、すぐ
  • 【車】
    • 下関ICから約25分

💖 まとめ

幕末の志士たちの熱い想いと、日中両国の激動の歴史を生き抜いた家族の愛。

中山神社と愛新覚羅社は、静かな境内で私たちに歴史の深さと平和の尊さを語りかけてくれます。

下関を訪れた際は、この不思議な縁で結ばれた聖地に、ぜひ足を運んでみてください。


近くにある「綾羅木海水浴場」や、下関北部の観光スポット「考古博物館」の情報についてもご紹介できますが、いかがでしょうか?

【下関・豊浦】戦国武将の感謝が生んだ奇跡!「岩谷の十三仏」で干支の守り神に会う

下関の奥座敷、川棚温泉から少し離れた山あいの静かな場所に、戦国時代のロマンと人々の信仰が息づくパワースポットがあります。

その名は「岩谷(いわや)の十三仏」。

かつてこの地に隠れ住んだ悲劇の武将・**大内義隆(おおうちよしたか)**公と、村人たちの絆が生んだ奇跡の物語。そして、自然の岩の上に鎮座する仏様たちは、私たちの干支(えと)を守る守護仏としても知られています。

今回は、歴史ミステリーとご利益を求めて、岩谷の十三仏を訪ねる旅へご案内します。


📜 追われた殿様と「雨乞い」の奇跡

この石仏群が生まれた背景には、ドラマチックな歴史秘話があります。

義隆公の隠棲と「ばんばら楽」

時は天文20年(1551年)。家臣・陶氏の謀反により山口を追われた大内義隆公は、この地域の「岩谷が浴八丈岩」に隠れ住んでいました。

しかし、追手は迫ります。脱出を決意した義隆公は、お世話をしてくれた村人へのお礼として、大内家秘法の巻物「ばんばら楽」を託しました。

干ばつを救った感謝の証

その後、弘治元年(1555年)ごろに大干ばつが村を襲った際、村人たちが熊野神社にこの「ばんばら楽」を奉納したところ、たちまち大雨が降り、村は救われたといいます。

この奇跡に感謝し、義隆公を供養するために、村人たちが露出した岩の上に安置したのが、この十三体の石仏なのです。


🐭 あなたの守り本尊は?「干支」を守る仏様

十三仏とは、本来、死後の世界を守護してくださる13尊の仏様のこと。

しかし、岩谷の十三仏にはもう一つの面白い特徴があります。

背中に刻まれた十二支

ここに並ぶ仏様のうち八尊は、「干支」の守護仏としても名を連ねています。

それぞれの干支に対応する石仏の背中には、なんと十二支の名が刻まれているそうです。

自分の干支の守り本尊を探して手を合わせれば、より深いご利益を感じられるかもしれません。自然の岩と一体になった素朴で力強い姿に、心が洗われるひとときを過ごせます。


ℹ️ 基本情報&アクセス

川棚温泉からのアクセスも良好。歴史散策の穴場スポットです。

項目内容
スポット名岩谷の十三仏(いわやのじゅうさんぶつ)
所在地下関市豊浦町川棚中小野
由緒大内義隆公供養、雨乞い感謝
お問い合わせ083-774-1211(豊浦町観光協会)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR山陰本線「川棚温泉駅」からバスで約13分、「岩谷口」下車、徒歩20分
  • 【車】
    • JR「川棚温泉駅」から約10分
    • 中国自動車道「小月I.C」から約29分

💖 まとめ

戦国の世の逃避行、村人を救った秘法、そして感謝の祈りが込められた石仏たち。

「岩谷の十三仏」は、静かな山里に眠る、優しくも力強いパワースポットです。

川棚温泉でリフレッシュした後は、自分の干支の仏様に会いに、少し足を伸ばしてみませんか?

【下関】一本なのに森!?樹齢1000年「川棚のクスの森」の神秘

下関の奥座敷・川棚温泉の近くに、**「たった一本の木なのに、まるで森のように見える」**不思議な場所があるのをご存知ですか?

その名は「川棚のクスの森(かわたなのくすのもり)」。

樹齢1000年を超える巨大なクスノキが、四方八方に枝を広げる姿は圧巻の一言。国の天然記念物にも指定されている、生命力あふれるパワースポットです。

今回は、見る者を圧倒する巨木のスケールと、その根元に眠る戦国武将の愛馬の伝説をご紹介します。


🌳 枝張り40m超!「森」と呼ばれる一本の木

この木が「クスの森」と呼ばれる理由は、その規格外の大きさにあります。

数字で見る「クスの森」

  • 樹齢: 1000年余り
  • 幹周り: 約10メートル
  • 枝張り: 東西46.5m、南北49m

一本の幹から18本もの枝が四方に広がり、うっそうとした森のような景観を作り出しています。

その壮観な姿から、大正11年には国の天然記念物に、平成2年には**「新日本名木百選」**にも選ばれました。


🐎 根元に眠る愛馬。「ひばり毛」の悲しい伝説

この巨木には、ある戦国武将と愛馬の悲しい物語が秘められています。

主君を守って散った名馬

天文20年(1551年)、家臣・陶晴賢の謀反により追われた**大内義隆(おおうちよしたか)**公は、愛馬「ひばり毛」と共にこの地へ逃れました。

しかし、最後の戦いでひばり毛は敵の刀に傷つき、命を落としてしまいます。

悲しんだ義隆公は、そばにあったこのクスノキの根元に愛馬を葬り、その霊を祀りました。

これが、この木が「霊馬神(れいばしん)」とも呼ばれるようになった由来です。


🍃 山頭火も一句。「青あらし」吹く巨木

すぐ近くには、漂泊の俳人・種田山頭火の句碑も建てられています。

大楠の枝から枝へ青あらし

青葉を揺らして吹き抜ける風(青あらし)と、どっしりと構える大楠。

この句は、クスの森の力強い生命力と、歴史を見守ってきた風情を見事に表現しています。


💡 基本情報&アクセス

川棚温泉から車で約8分。温泉旅行の立ち寄りスポットに最適です。

項目内容
スポット名川棚のクスの森
所在地下関市豊浦町川棚下小野
指定国指定天然記念物
お問い合わせ083-774-1211(豊浦町観光協会)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「川棚温泉駅」からバスで約11分、「浜井場」下車、徒歩6分
  • 【車】
    • JR「川棚温泉駅」から約8分
    • 中国自動車道「小月I.C」から約26分

💖 まとめ

1000年の時を超えて枝を広げる「川棚のクスの森」。

その木陰に入れば、圧倒的な自然のパワーと、静かに眠る歴史のロマンを感じることができるはずです。

川棚温泉でリフレッシュした後は、この神秘的な森で深呼吸してみませんか?