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【下関・長府】古代の「時短」テクニック!?長門国惣社跡で歴史の跡をたどる

歴史の街・下関市長府。

城下町の風情が色濃く残るこのエリアに、「長門国惣社跡(ながとのくにそうじゃあと)」という史跡があるのをご存知ですか?

「惣社(そうじゃ)」とは、実は平安時代の国司たちが考案した、ある画期的なシステムの名残なんです。

今回は、古代の役人たちの知恵と、長府の歴史の深さを感じられるスポットをご紹介します。


⛩️ 「惣社」ってなに?平安時代の画期的なシステム

「惣社(そうじゃ)」とは、簡単に言うと国内の神社を一つにまとめた合同神社のことです。

国司たちの悩みと解決策

大化の改新(645年)以降、中央から派遣された国司(今の県知事のような役職)にとって、着任後の最初の仕事は、管内にある全ての神社を巡拝することでした。

しかし、広い国中をすべての神社へお参りするのは大変な重労働。時代が下って平安中期になると、次第にそのしきたりも怠りがちになっていきました。

そこで考案されたのが、国府(役所)の近くに**国内の神社の神様を合祀した「総社」**を建て、そこにお参りすることで全てを巡ったことにする、というシステムです。

いわば、古代の「効率化」や「時短」のための施設だったわけですね。


📍 今も残る地名「惣社町」

かつて長門国府があった長府。

国衙(役所)にほど近い場所に長門国の総社が建立され、昭和40年代まではその社の一部を見ることができたといいます。

現在、社殿は残っていませんが、このあたりの地名は今でも「惣社町(そうじゃちょう)」と呼ばれています。

地名そのものが、かつてここに国中の神様が集まる重要な場所があったことを、静かに物語っているのです。


ℹ️ 基本情報&アクセス

長府散策の際は、ぜひこの歴史ある場所に立ち寄って、古代の風景に思いを馳せてみてください。

項目内容
スポット名長門国惣社跡
所在地下関市長府惣社町
お問い合わせ083-246-1120(長府観光会館)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「長府駅」からバスで約7分、「城下町長府」下車、徒歩10分
    • JR「下関駅」からバスで約23分、「城下町長府」下車、徒歩10分

💖 まとめ

国中の神様へのお参りを一箇所で済ませてしまおうという、平安時代の人々の合理的な発想。

「長門国惣社跡」は、そんな歴史の面白さを感じられるスポットです。

城下町長府のレトロな街並みを歩きながら、ふと足元の歴史に目を向けてみませんか?


長府エリアの古民家カフェでのランチ情報や、近くの国宝「功山寺」の観光情報についてもご紹介できますが、いかがでしょうか?

【下関】平家の落人が眠る隠れ里。「平家塚」で歴史の静寂に触れる

源平合戦の最後の舞台、下関・壇ノ浦。

その戦いに敗れ、滅び去ったはずの平家一門の中に、ひっそりと山あいに逃げ延びた人々がいたことをご存知でしょうか?

下関市大字高畑(たかはた)。

海を見下ろすこの地には、平家の落人たちの墓と伝えられる「平家塚(へいけづか)」が今も静かに佇んでいます。

かつては「祟りがある」と恐れられた場所ですが、現在は地元の人々に守られ、歴史と自然が調和する静寂の史跡となっています。

今回は、悲劇の歴史に思いを馳せる、大人の歴史散策へご案内します。


🏞️ 隠れ里に残る、海を見つめる墓石

壇ノ浦の合戦の後、生き残った平家の落人たちは、人目を忍んでこの高畑の里に隠れ住んだと言われています。

ひっそりと佇む五輪塔

碑の横から奥へと続く道を進むと、そこには古い五輪塔や墓石がひっそりと建てられています。

登り道の反対側や市道の向こう側にも墓石が点在しており、そのどれもが、丘の上から目の前の青い海をじっと見つめているかのようです。

故郷を想っているのか、それとも海に散った仲間を想っているのか。静かな石仏の姿に、胸が締め付けられます。


🍃 恐れられた「平家薮」と今の姿

この場所は別名「平家薮(へいけやぶ)」とも呼ばれています。

かつては、「ここに一歩でも足を踏み入れると、震えがつき、祟り(たたり)がある」と恐れられていたそうです。

落人たちの無念や警戒心が、そのような伝説を生んだのかもしれません。

地元の人々に守られて

しかし現在は、決して怖い場所ではありません。

月に一度、地元の婦人たちの手によって清掃が行われ、花や線香が手向けられています。

地元の人々の温かい手によって守られている、清らかな祈りの場所なのです。


ℹ️ 基本情報&アクセス

歴史と自然が織りなす静寂の中で、平家の物語に耳を澄ませてみませんか?

項目内容
スポット名平家塚(へいけづか)
所在地下関市大字高畑(野久留米街道から600m)
お問い合わせ083-231-1350(下関市観光振興課)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約18分、「浜浦台」下車、徒歩15分
  • 【車】
    • 下関I.Cから約9分

💖 まとめ

都を追われ、戦に敗れ、それでもこの地で生きた平家の人々。

海を見つめ続ける墓石は、私たちに命の尊さと平和の重みを静かに語りかけてくれます。

下関観光の際は、華やかな観光地から少し足を伸ばして、この「隠れ里」を訪れてみてはいかがでしょうか。

【下関】龍神の珠が島になった!?「満珠・干珠」伝説と源平合戦の舞台

下関市長府の沖合、関門海峡にぽっかりと浮かぶ二つの小島。

「満珠(まんじゅ)・干珠(かんじゅ)」と呼ばれるこの島々には、まるでファンタジー映画のような壮大な「魔法の珠(たま)」の伝説が残されています。

さらにここは、歴史を変えた「源平合戦」の重要な舞台でもありました。

今回は、神話と歴史が交差するミステリアスな島、満珠・干珠の物語と、その姿を一番美しく見られる絶景スポットをご紹介します!


🐉 龍神から授かった「2つの珠」の伝説

その昔、この国に朝鮮から新羅(しらぎ)の大軍が攻めてきた時のこと。

立ち向かった神功皇后(じんぐうこうごう)は、龍神から2つの不思議な珠を授かりました。

その珠の名は、「潮干る珠(しおひるたま)」と「潮満る珠(しおみつるたま)」

魔法のような潮のコントロール

皇后は、船で近づいてくる敵軍に対し、まず「潮干る珠」を使いました。すると潮が引き、敵船は足止めを食らいます。

敵が船を降りて攻め込もうとしたその瞬間、今度は「潮満る珠」を使いました。すると潮が一気に満ち、新羅軍はひとたまりもなく滅ぼされたといいます。

勝利の後に生まれた島

その後、新羅へ渡り勝利を収めて凱旋した皇后が、役目を終えた2つの珠を海に返すと、それが現在の二つの島(満珠・干珠)になったと伝えられています。


⚔️ 源平合戦「源氏の本陣」となった場所

この島は、神話だけでなく実際の歴史の舞台でもあります。

平家が滅び、武士の時代が幕を開けた「壇ノ浦の源平船合戦」。

この戦いで、海峡の複雑な潮の流れを知り尽くしていた長府・串崎の水軍は、源氏(源義経軍)に味方しました。

そして、源氏軍はこの満珠・干珠島の周辺に本陣を構え、平家軍を迎え撃ったといわれています。

現在は忌宮神社(いみのみやじんじゃ)の飛び地境内となっており、島に生い茂る原生林は国の天然記念物にも指定されている、神聖な場所です。


📸 2つの島が寄り添う!おすすめビュースポット

満珠・干珠は関門海峡のいたるところから見えますが、特に「形が良く見える」とされる特等席があります。

  • 豊功神社(とよことじんじゃ)
  • 御船手海岸(みふねてかいがん)

この場所から眺めると、二つの島が仲良く寄り添うように見え、海峡の景色と相まって最高のフォトスポットになります。


ℹ️ 基本情報&アクセス

長府散策の際は、海の方を眺めて、この伝説の島を探してみてください。

項目内容
スポット名満珠・干珠島(まんじゅ・かんじゅじま)
所在地下関市長府沖
指定国の天然記念物(樹木)、忌宮神社飛び地境内
お問い合わせ083-246-1120(長府観光会館)

🚗 アクセス(ビュースポットまで)

  • 【豊功神社・御船手海岸】
    • JR「長府駅」からバスで約9分、「松原」バス停下車、徒歩7~10分
    • JR「下関駅」からバスで約21分、「松原」バス停下車、徒歩7~10分

💖 まとめ

龍神の珠が姿を変えたという伝説の島、満珠・干珠。

源平の兵(つわもの)たちも見たであろうその風景は、今も変わらず関門海峡に浮かんでいます。

長府の歴史散策の合間に、海風を感じながら、神話と歴史のロマンに浸ってみませんか?

【下関】海峡の風情と大きな錨。「アンカー広場」は夜景も綺麗なベイサイドスポット

下関市のベイエリア「あるかぽーと」。

国道9号線と関門海峡に挟まれた場所に、潮風を感じられる小さな緑地があるのをご存知ですか?

その名も「アンカー広場」。

ここには、海峡の街・下関を象徴するような大きな錨(いかり)のモニュメントが設置されています。

今回は、昼は行き交う船を眺め、夜はロマンチックな夜景を楽しめる、この素敵なスポットをご紹介します。


⚓️ 巨大な錨越しに見る「関門海峡」の風情

広場に入ってまず目に飛び込んでくるのが、存在感抜群の大きな錨のモニュメントです。

このモニュメント越しに眺める関門海峡や、行き交う船の風景は、なかなかの風情があります。

海と空、そして巨大な鉄の錨。

下関ならではの「絵になる」一枚が撮れる、隠れたフォトスポットです。


🚢 景観も美しい「あるかぽーと岸壁」

アンカー広場の目の前に広がる海岸は、旅客船用の岸壁として整備されています。

そのため、船を繋ぎ止める「係船柱(けいせんちゅう)」などの設備も、周囲の景観を意識してデザインされているのが特徴です。

夜景もおすすめ!

日が暮れると、このあたりの雰囲気は一変。

景観に配慮された岸壁や海峡の灯りが織りなす夜景はとても綺麗で、昼間とは違ったロマンチックな時間を過ごすことができます。

デートの合間に、海沿いを少し散歩してみてはいかがでしょうか。


ℹ️ 基本情報&アクセス

唐戸市場や海響館からも徒歩圏内。散策の休憩スポットとしても最適です。

項目内容
スポット名アンカー広場(あるかぽーと岸壁)
所在地下関市あるかぽーと3番
お問い合わせ083-231-1350(下関市観光振興課)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約4分、「三百目(さんびゃくめ)」バス停下車、徒歩約3分

💖 まとめ

大きな錨と関門海峡、そして美しい夜景。

「アンカー広場」は、下関の海の魅力をぎゅっと凝縮したような、心地よい空間です。

あるかぽーとエリアを訪れた際は、ぜひこの広場で足を止めて、海峡の風を感じてみてください。

【下関】高杉晋作が本陣を置いた場所。「東光寺」で維新の風を感じる

幕末の風雲児・高杉晋作。彼が率いる「奇兵隊」が、歴史を動かすクーデターの最中に拠点を置いたお寺が、下関駅の近くにあることをご存知ですか?

下関市豊前田にある「東光寺(とうこうじ)」。

ここは、維新の転換点となった「功山寺挙兵」の直後、高杉晋作らが本陣を構えた歴史的な舞台です。

今回は、志士たちが駆け抜けた熱い歴史と、高台からの絶景を楽しめる穴場スポット「東光寺」をご紹介します。


⚔️ 功山寺挙兵、そして「東光寺」へ

元治元年(1864年)、長州藩の改革を目指した高杉晋作は、功山寺で挙兵し、新地会所を襲撃しました。

当初は近くの「了円寺」に立てこもっていましたが、続々と合流する同志たちで手狭になったため、本陣をこの「東光寺」へと移したのです。

多くの志士たちが集い、熱く日本の未来を語り合い、戦略を練った場所。

境内を歩けば、当時の緊迫感と熱気が伝わってくるようです。


🔭 高杉も見た?高台から望む下関の絶景

東光寺は高台に位置しており、下関市街を一望できる絶景スポットとしても知られています。

眼下に広がる街並みを見下ろしながら、高杉晋作もここで策を巡らせていたのかもしれません。

歴史に思いを馳せながら眺める景色は、きっと格別なものになるはずです。


ℹ️ 基本情報&アクセス

JR下関駅から徒歩圏内というアクセスの良さも魅力です。

項目内容
スポット名東光寺(とうこうじ)
所在地山口県下関市豊前田1丁目1-23
関連人物高杉晋作、奇兵隊
お問い合わせ083-222-2153

🚗 アクセス

  • 【徒歩】
    • JR「下関駅」から徒歩約9分

💖 まとめ

奇兵隊の本陣として、維新回天の歴史を見守ってきた「東光寺」。

高台からの眺めと歴史ロマンを同時に味わえる、下関観光の隠れた名所です。

下関駅周辺を散策する際は、少し足を伸ばして、高杉晋作ゆかりの地を訪ねてみてはいかがでしょうか?

【下関】安徳天皇漂着の地!小門御旅所に秘められた悲劇

源平合戦の最後の舞台、壇ノ浦。

その戦いでわずか8歳にして海に消えた幼き帝、安徳天皇の「その後」を伝える場所が、下関駅から徒歩圏内にあることをご存知ですか?

その場所は「赤間神宮小門御旅所(あかまじんぐうおどおたびしょ)」。

ここは、入水した安徳天皇のご遺体が流れ着き、人目を避けて密かに葬られたと伝えられる、悲しくも神聖な伝説の地です。

今回は、華やかな赤間神宮とは対照的に、静かに歴史の真実を伝える「小門御旅所」の由緒と、毎年5月に行われる絢爛豪華な神事についてご紹介します。


🌊 流れ着いた幼き帝。中島家による「密葬」の伝説

寿永4年(1185年)3月24日、源平船合戦(壇ノ浦の戦い)。

平家一門の滅亡とともに、二位ノ尼に抱かれて海へ入水した安徳天皇。そのご遺体は、潮流に乗ってこの「小門(おど)海峡」へと流れ着いたと伝えられています。

漁師が見つけた「やんごとなき亡骸」

網を引いていた中島家の人々(当時の漁師といわれています)が、その高貴な衣をまとったご遺体を引き上げました。

彼らは「これはただごとではない」と悟り、源氏の厳しい追及を逃れるため、密かにこの場所に仮埋葬したといわれています。

現在、赤間神宮(阿弥陀寺)に安徳天皇が祀られていますが、最初に眠りについたのは、この海峡のそばの小さな場所だったのです。


👘 時代絵巻が蘇る!5月4日の「御神幸祭」

普段はひっそりとしているこの場所も、年に一度、平安絵巻のような華やかさに包まれます。

それが、下関最大のお祭り「先帝祭(せんていさい)」の翌日、5月4日に行われる「御神幸祭(ごじんこうさい)」です。

古代衣装の行列が練り歩く

この日は、赤間神宮から御鳳輦(ごほうれん/神様の乗り物)を中心とした行列が、この小門御旅所を目指して進みます。

古代衣装に身を包んだ崇敬会員や、可愛らしい稚児たちが練り歩く姿は、平家の栄華を今に伝えるかのような美しさ。

この場所で厳かに祭事が執り行われ、安徳天皇の御霊を慰めます。


ℹ️ 基本情報&アクセス

JR下関駅から徒歩15分と、散策がてら立ち寄れる距離にあります。

項目内容
スポット名赤間神宮小門御旅所(あかまじんぐうおどおたびしょ)
所在地下関市伊崎町2-9-21
関連行事5月4日 先帝祭御神幸祭
お問い合わせ083-231-1350(下関市観光振興課)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約2分、「竹崎」バス停下車、徒歩10分
  • 【徒歩】
    • JR「下関駅」から徒歩約15分

💖 まとめ

華やかな赤間神宮の陰で、ひっそりと安徳天皇の最初の眠りを守り続けてきた「小門御旅所」。

海峡の風を感じながらこの地に立つと、800年以上前の悲劇と、幼き帝を弔った人々の優しい想いが伝わってくるようです。

下関駅周辺を散策する際は、少し足を伸ばして、歴史の裏側に触れる旅をしてみませんか?

【下関】維新回天の始まり!高杉晋作が最初に襲撃した「萩藩新地会所跡」

幕末の風雲児・高杉晋作。

彼が長州藩、ひいては日本の歴史を大きく変えるきっかけとなったクーデター「功山寺挙兵」。

その際、高杉が率いる軍勢が最初に襲撃したターゲットが、現在のJR下関駅近くにあることをご存知でしょうか?

その場所は「萩藩新地会所跡(はぎはんしんちかいしょあと)」。

現在は厳島神社の参道横に石碑が残るのみですが、ここはかつて萩本藩の出先機関があった重要な拠点でした。

今回は、歴史ファンなら一度は訪れたい、維新の動乱が火を吹いた現場をご紹介します。


⚔️ 元治元年12月15日、歴史が動いた夜

時は幕末、元治元年(1864年)12月15日。

保守派が主導権を握っていた長州藩の体制を変えるため(藩政改革)、高杉晋作はわずかな兵を率いて長府の功山寺で挙兵しました。

最初のターゲット「新地会所」

雪の降る中、高杉たちが目指したのは、萩本藩の出先機関であった「新地会所」でした。

ここを襲撃し、武器や弾薬を確保したことが、その後のクーデター成功への第一歩となったのです。

この場所は、まさに**明治維新への歯車が大きく回り始めた「起点」**とも言える場所です。


⛩️ 厳島神社の横にひっそりと

現在、当時の建物は残っていませんが、下関市上新地町にある厳島神社の参道横に、その歴史を伝える碑が建立されています。

JR下関駅から徒歩約11分というアクセスの良さも魅力。

駅周辺の賑わいから少し離れた静かな場所で、激動の時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


ℹ️ 基本情報&アクセス

項目内容
スポット名萩藩新地会所跡(はぎはんしんちかいしょあと)
所在地下関市上新地町1丁目(厳島神社入り口横)
関連人物高杉晋作
お問い合わせ083-231-1350(下関市観光振興課)

🚗 アクセス

  • 【徒歩】
    • JR「下関駅」から徒歩約11分
  • 【バス】
    • JR「下関駅」から高尾線バスで約4分、「厳島神社前」下車、すぐ

💖 まとめ

わずかな兵力で大軍に挑んだ高杉晋作の覚悟と、維新の幕開けを目撃した場所「萩藩新地会所跡」。

厳島神社への参拝とあわせて、歴史の転換点となったこの地に立ってみませんか?

【下関】高杉晋作、命燃え尽きる場所。療養の地で偲ぶ最期の日々

幕末の風雲児、高杉晋作。

奇兵隊を創設し、維新の原動力となった彼ですが、その最期は結核という病との戦いでした。

下関市桜山町にある「高杉晋作療養の地」。

ここは、日本の夜明けを見ることなく駆け抜けた英雄が、短い生涯の最後を静かに過ごした場所です。

今回は、激動の時代を戦い抜き、この地で休息をとった晋作の最期の日々をご紹介します。


🤧 戦いの中での発病、そして療養へ

物語は、慶応2年(1866年)6月に始まった四境戦争(第二次長州征伐)の頃にさかのぼります。

晋作は奇兵隊などの諸隊を率いて、圧倒的な兵力差のある幕府軍を小倉口で見事に撃退しました。

しかし、華々しい戦果の裏で、彼の体はすでに病魔に冒されていました。

同年9月、晋作は突然多量の喀血(吐血)に見舞われます。

無理を押して戦場に立っていましたが、ついに10月には職を解かれ、療養に専念せざるを得なくなりました。


🏚️ 小さな家で過ごした穏やかな時間

病状が進行した晋作は、それまで滞在していた白石邸から、桜山神社の近くに小さな家を建てて移り住みました。

ここでの生活を支えたのは、二人の女性でした。

一人は勤皇の志士たちを母のように支えた尼僧・野村望東尼(のむらぼうとうに)、そしてもう一人は晋作の愛人であったおうのです。

彼女たちの献身的な看病を受けながら、晋作はこの小さな家を**「東行庵(とうぎょうあん)」とも「捫蝨処(もんしつしょ)」**とも称して過ごしたと言われています。

激動の人生の中で、つかの間の静寂がここにはあったのかもしれません。


ℹ️ 基本情報&アクセス

維新の英傑が最期の時を過ごした場所。

近くには奇兵隊士の霊を祀る「桜山神社」もありますので、あわせて訪れてみてはいかがでしょうか。

項目内容
スポット名高杉晋作療養の地
所在地下関市桜山町
お問い合わせ083-231-1350(下関市観光振興課)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」から高尾線バスで約4分、「厳島神社前」下車、徒歩3分

💖 まとめ

幕府軍を撃退した英雄が、病と闘いながら静かに過ごした療養の地。

下関の街角に残る史跡の前に立つと、若くして散った高杉晋作の無念と、彼を支えた人々の温かさが伝わってくるようです。

歴史ファンの方は、ぜひ桜山エリアを散策して、維新の息吹を感じてみてください。

【下関・彦島】名前負けしない絶景!風車と夕日の「ナイスビューパーク」

下関市街と彦島を結ぶ「彦島大橋」。そのすぐそばに、名前の通り素晴らしい景色が広がる公園があるのをご存知ですか?

その名も「ナイスビューパーク」。

1995年に完成したこの公園は、可愛らしい風車がシンボル。

眼下には日本海(響灘)が広がり、美しい夕日が見られるロマンチックなスポットとして、ドライブの休憩やデートに人気です。

今回は、彦島の入り口にある絶景のオアシス「ナイスビューパーク」の魅力をご紹介します!


🌅 その名の通り!響灘と夕日のパノラマ絶景

公園があるのは、県道福浦港金比羅線の元彦島有料道路料金所のすぐそば。

高台に位置しているため視界が良く、目の前には**響灘(日本海)や六連島(むつれじま)**が広がり、右手遠方には北浦の山々まで望むことができます。

感動のサンセット

特にここから眺める沈む夕日の様子は格別で、つい見とれてしまうほどの美しさです。

海風を感じながら、茜色に染まる海を眺める時間は、最高の癒やしになりますよ。


🌬️ 中に入れる!シンボルの「風車」

公園のランドマークとなっているのが、大きな風車です。

ただの飾りではなく、内部に入ることができるのが嬉しいポイント!

らせん階段で展望エリアへ

風車塔内にはらせん階段があり、3階まで登ることができます。

内部には、風力発電の仕組みや、風車付近の名所などを説明したパネル、模型などが展示されており、ちょっとした学習スペースにもなっています。


ℹ️ 基本情報&アクセス

彦島大橋を渡るドライブの際は、ぜひ立ち寄ってみてください。

項目内容
スポット名ナイスビューパーク
所在地下関市彦島迫町6丁目1-40
駐車場あり(マイカー駐車場)
お問い合わせ083-231-4141(下関観光情報センター)

🚗 アクセス

  • 【車】
    • JR「下関駅」から約6分
    • 「下関I.C」から約10分

💖 まとめ

青い海と空、そして回る風車。

「ナイスビューパーク」は、その名の通り、訪れる人に素敵な景色とリラックスした時間を提供してくれる場所です。

次の休日は、彦島へのドライブがてら、この「ナイスビュー」を探しに行きませんか?

【下関】まるでパナマ運河!?「世界最小のパナマ運河」とも呼ばれる下関漁港閘門

下関市街(大和町)と彦島を結ぶ水路に、ちょっと珍しい仕掛けがあるのをご存知ですか?

その名も「下関漁港閘門(しものせきぎょこうこうもん)」。

日本海と瀬戸内海の激しい潮の満ち引きを調整し、船を通すための「水門」なのですが、実はここ、**船が通るときに「道が空へ昇る」**というユニークな光景が見られるスポットなんです!

「世界最小のパナマ運河」とも称される、歴史ある土木遺産の魅力をご紹介します。


🌊 激流を抑えろ!昭和初期のビッグプロジェクト

関門海峡周辺は、日本海と瀬戸内海の干満差によって激しい潮流が発生する海の難所。

漁港の安全を守るため、昭和8年(1933年)から昭和17年(1942年)にかけて大規模な修築工事が行われ、この閘門(水門)が設置されました。

昭和11年(1936年)に通船式が行われて以来、漁船の安全な航行を支えるとともに、彦島と本土を繋ぐ重要なルートとして活躍してきました。


🌉 道が動く!?迫力の「昇開式可動橋」

この閘門の最大の見どころは、昭和57年(1982年)に完成した**「水門橋」**です。

船が来ると…道が上昇!

船舶が航行する際、水路を横切る道路部分が、四隅の柱に沿って高く上昇します。

これは「昇開式可動橋」と呼ばれる仕組み。

以前は人と自転車しか通れませんでしたが、この橋の完成により自動車も通行できるようになりました。

目の前で道が動き出す光景は、メカニックで迫力満点!

タイミングが良ければ、船が通るために橋が上がるレアな瞬間に出会えるかもしれません。


🏆 「未来に残したい」歴史文化財産

その歴史的価値と景観のユニークさから、平成18年(2006年)には水産庁の**「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」**にも認定されました。

今も現役で活躍する、下関の漁業と生活を支える大切な遺産です。


ℹ️ 基本情報&アクセス

下関駅からバスですぐ。彦島方面への散策ついでに立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

項目内容
スポット名下関漁港閘門(しものせきぎょこうこうもん)
所在地下関市大和町2 ~ 彦島本村町6
お問い合わせ083-231-4141(下関観光情報センター)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約5分、「彦島口」下車、徒歩3分
    • JR「下関駅」からバスで約9分、「水門」下車、徒歩2分
  • 【車】
    • 下関I.Cから約10分

💖 まとめ

潮の流れを操り、船を通し、人や車も渡す。

「下関漁港閘門」は、先人たちの知恵と技術が詰まった、働き者の土木遺産です。

下関の隠れた珍スポット、ぜひカメラを持って訪れてみてください!