【下関】まるでパナマ運河!?「世界最小のパナマ運河」とも呼ばれる下関漁港閘門

下関市街(大和町)と彦島を結ぶ水路に、ちょっと珍しい仕掛けがあるのをご存知ですか?

その名も「下関漁港閘門(しものせきぎょこうこうもん)」。

日本海と瀬戸内海の激しい潮の満ち引きを調整し、船を通すための「水門」なのですが、実はここ、**船が通るときに「道が空へ昇る」**というユニークな光景が見られるスポットなんです!

「世界最小のパナマ運河」とも称される、歴史ある土木遺産の魅力をご紹介します。


🌊 激流を抑えろ!昭和初期のビッグプロジェクト

関門海峡周辺は、日本海と瀬戸内海の干満差によって激しい潮流が発生する海の難所。

漁港の安全を守るため、昭和8年(1933年)から昭和17年(1942年)にかけて大規模な修築工事が行われ、この閘門(水門)が設置されました。

昭和11年(1936年)に通船式が行われて以来、漁船の安全な航行を支えるとともに、彦島と本土を繋ぐ重要なルートとして活躍してきました。


🌉 道が動く!?迫力の「昇開式可動橋」

この閘門の最大の見どころは、昭和57年(1982年)に完成した**「水門橋」**です。

船が来ると…道が上昇!

船舶が航行する際、水路を横切る道路部分が、四隅の柱に沿って高く上昇します。

これは「昇開式可動橋」と呼ばれる仕組み。

以前は人と自転車しか通れませんでしたが、この橋の完成により自動車も通行できるようになりました。

目の前で道が動き出す光景は、メカニックで迫力満点!

タイミングが良ければ、船が通るために橋が上がるレアな瞬間に出会えるかもしれません。


🏆 「未来に残したい」歴史文化財産

その歴史的価値と景観のユニークさから、平成18年(2006年)には水産庁の**「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」**にも認定されました。

今も現役で活躍する、下関の漁業と生活を支える大切な遺産です。


ℹ️ 基本情報&アクセス

下関駅からバスですぐ。彦島方面への散策ついでに立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

項目内容
スポット名下関漁港閘門(しものせきぎょこうこうもん)
所在地下関市大和町2 ~ 彦島本村町6
お問い合わせ083-231-4141(下関観光情報センター)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約5分、「彦島口」下車、徒歩3分
    • JR「下関駅」からバスで約9分、「水門」下車、徒歩2分
  • 【車】
    • 下関I.Cから約10分

💖 まとめ

潮の流れを操り、船を通し、人や車も渡す。

「下関漁港閘門」は、先人たちの知恵と技術が詰まった、働き者の土木遺産です。

下関の隠れた珍スポット、ぜひカメラを持って訪れてみてください!

【下関・彦島】吉田松陰も訪れた!壁のような急勾配「金比羅本宮」の石段に挑む

下関市彦島、福浦湾を見下ろす兜山(かぶとやま)に、知る人ぞ知る歴史と試練のスポットがあります。

その名は「金比羅本宮(こんぴらほんぐう)」。

ここには、下から見上げると境内が全く見えないほどの「壁のような急勾配」の石段があり、かつては幕末の志士・吉田松陰も訪れたという由緒ある場所です。

今回は、海防の守り神として創建され、歴史のロマンと健脚への挑戦が待つ金比羅本宮をご紹介します。


🧗 角度40度!?空へ続く「270段」の石段

この神社最大の特徴は、鳥居をくぐった先に待ち受ける石段です。

その数、約270段。

しかし、ただ段数が多いだけではありません。なんと傾斜が約40度というものすごい急勾配なのです。

下から見上げると、石段が空に向かって垂直に伸びているようで、その先にあるはずの境内や社殿は全く見えません。

まさに「修行」のような道のりですが、一歩一歩登りきった時の達成感は格別です。

(※足元には十分ご注意ください!)


📜 吉田松陰も登った!『廻浦紀略』に残る記録

実はこの神社、幕末の志士・吉田松陰ゆかりの地でもあります。

嘉永2年(1849年)、藩の命令で北浦・下関一帯の海防調査を行っていた松陰は、7月16日にこの金比羅宮を参拝しました。

北前船の寄付で作られた石段

松陰が残した記録『廻浦紀略(かいほきりゃく)』には、当時の様子が記されています。

当時はまだ石段が完成しておらず、北前船からの寄付金によって少しずつ段数が増やされていたそうです。

松陰が訪れた時は「160余段」あり、「完成すれば200段ばかりにもなろう」と書き残しています。

私たちが今登っている石段は、当時の人々の信仰と寄付の結晶であり、若き日の松陰も踏みしめた歴史の道なのです。


🌊 かつては絶景「富観台」。今は…?

金比羅本宮は、文政2年(1819年)に長府藩主・毛利元義公が、海防と港の繁栄を願って長府からこの地に遷座させました。

境内には「福浦富観台記の碑」があり、かつてここが「富観台」と呼ばれる絶景スポットだったことを伝えています。

当時は頂上から、六連島(むつれじま)や蓋井島(ふたおいじま)、対岸の九州までを一望できたそうですが、現在は樹木が大きく成長し、残念ながらその眺望を見ることはできません。

しかし、鬱蒼と茂る木々の向こうに、かつての侍たちが見た海を想像するのも、また一興かもしれません。


ℹ️ 基本情報&アクセス

歴史ロマンと体力自慢の方におすすめのスポットです。

項目内容
スポット名金比羅本宮(こんぴらほんぐう)
所在地下関市彦島福浦本町
見どころ急勾配の石段、吉田松陰ゆかりの地
お問い合わせ083-231-4141(下関観光情報センター)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約14分、「福浦本町」バス停下車、徒歩2分
  • 【車】
    • 中国自動車道「下関I.C」から約14分

💖 まとめ

吉田松陰も仰ぎ見たであろう、壁のような石段。

金比羅本宮は、彦島の歴史と、港の安全を願った人々の想いが積み重なった場所です。

下関観光の際は、動きやすい靴を履いて、この歴史の石段にチャレンジしてみませんか?

【下関・彦島】駅から15分でビーチへGO!「ひこっとらんどマリンビーチ」で夏を満喫

「海に行きたいけど、遠出するのはちょっと…」

そんな時にぴったりなのが、下関駅から車でわずか15分という抜群のアクセスを誇る「ひこっとらんどマリンビーチ」です!

かつての「西山海水浴場」が、美しく整備された人工海岸としてリニューアル。

響灘(ひびきなだ)に面した開放的なロケーションで、手軽にリゾート気分を味わえる人気スポットです。

今回は、マリンスポーツやアウトドアも楽しめる、下関の身近なビーチリゾートをご紹介します。


🏖️ マリンスポーツも!響灘を望むアウトドアスポット

ひこっとらんどマリンビーチの魅力は、なんといってもそのアクセスの良さと設備の充実です。

整備された美しい人工ビーチ

響灘に面した海岸は、人工海浜としてきれいに整備されており、子供連れのファミリーから若者まで安心して楽しめます。

市街地からすぐ近くでありながら、広々とした海と空を満喫できるのが嬉しいポイントです。

夏はマリンスポーツ&アウトドア!

海水浴シーズンになると、多くの人で賑わいます。

泳ぐだけでなく、マリンスポーツを楽しんだり、アウトドアスポットとして海辺でのんびり過ごしたりと、思い思いの夏を満喫できます。


ℹ️ 基本情報&アクセス

思い立ったらすぐ行ける!下関の夏遊びの定番スポットです。

項目内容
スポット名ひこっとらんどマリンビーチ(西山海水浴場)
所在地下関市彦島迫町6丁目
特徴人工海岸、マリンスポーツ、アウトドア
お問い合わせ083-231-4141(下関観光情報センター)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約15分、「西山口」バス停下車、徒歩2分
  • 【車】
    • JR「下関駅」から約15分
    • 中国自動車道「下関I.C」から約12分

💖 まとめ

下関駅からバスでも車でも約15分。

「ひこっとらんどマリンビーチ」は、都会の喧騒を忘れて、気軽に海と触れ合えるオアシスです。

次の晴れた日は、タオルを持って、彦島のビーチへ出かけてみませんか?

【下関】フクの聖地!全国80%が集まる「南風泊市場」と伝説の「袋セリ」

下関といえば、やっぱり「フク(ふぐ)」。

その本場中の本場、日本で取り扱われるトラフグなど全国のフクの**約80%**が集結する場所が、下関市彦島にあることをご存知ですか?

その名は「南風泊市場(はえどまりしじょう)」。

一般の見学はできませんが、年に一度だけ開催される「ふくの日まつり」や、ここで行われる伝統の技「袋セリ」は、食通なら知っておきたい下関のディープな文化です。

今回は、日本のフク流通を支える聖地・南風泊市場の秘密と、年に一度の楽しみ方をご紹介します!


🐡 なぜ「南風泊」? 江戸時代からの歴史

少し変わった「南風泊(はえどまり)」という地名。これには江戸時代の海運の歴史が関係しています。

かつて日本海を行き来した北前船(きたまえぶね)が、関門海峡を抜ける際、強い「南風(はえ)」を避けるためにこの地に停泊していたことから、この名がついたと言われています。

風待ちの港は、今や日本一のフクの集積地として、全国の食卓を支えています。


🤫 伝統の闇取引!? 名物「袋セリ」とは

南風泊市場を有名にしているのが、独特のセリの方法「袋セリ(ふくろぜり)」です。

黒い袋の中で決まる値段

午前3時半、静寂の中でセリが始まります。

しかし、飛び交うのは声ではありません。セリ人と買い手が黒い布袋の中に手を入れ、指先だけで値段を決めるのです。

ライバルに値段を悟られないようにする、古くからの知恵と駆け引き。

この「袋セリ」は全国的にも有名で、下関のフク文化を象徴する光景です。

⚠️ 注意:普段は立ち入り禁止!

南風泊市場は業者専門の市場のため、一般の見学はできません。


🎉 年に一度のチャンス!「下関ふくの日まつり」

普段は入れない市場ですが、年に一度だけ、一般開放される特別な日があります!

それが、例年**2月11日(建国記念日)**に開催される「下関ふくの日まつり」です。

フク三昧のイベント

  • 即売会: 高級なフク刺しや関連製品、近海の新鮮な魚介類がお得に買えます。
  • 袋セリ体験: 名物の袋セリによるオークションが行われ、一般の方もその雰囲気を楽しめます。
  • 大抽選会: 豪華賞品が当たるチャンスも!

大勢の来場者で賑わうこの日は、本場のフクを身近に感じられる絶好の機会です。


ℹ️ 基本情報&アクセス

項目内容
スポット名南風泊市場(はえどまりしじょう)
所在地下関市彦島西山町4丁目11-39
イベント下関ふくの日まつり(例年2月11日)
お問い合わせ083-267-8181(下関ふく連盟事務局)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約21分、「渡瀬」バス停下車、徒歩5分
  • 【車】
    • 中国自動車道「下関I.C」から約15分

💖 まとめ

強い南風を避けた船人たちと、黒い袋の中で行われる真剣勝負。

「南風泊市場」は、歴史と伝統、そして「フク」への情熱が詰まった場所です。

2月の「ふくの日まつり」に合わせて、フクの聖地・下関へグルメ旅を計画してみませんか?

【下関】国宝の本殿は必見!「住吉神社」で戦国武将の寄進と歴史を感じる旅

下関市にある「住吉神社(すみよしじんじゃ)」は、ただの神社ではありません。

ここは、「長門一の宮(ながといちのみや)」として古くから崇敬されてきた格式高い神社であり、なんと本殿が「国宝」に指定されているすごい場所なんです。

創建の伝説は日本書紀にまでさかのぼり、新羅から凱旋した神功皇后が住吉三神を祀ったことが始まりとされています。

今回は、戦国武将たちも大切にした国宝建築と、歴史ロマンあふれる境内の魅力をご紹介します!


🏛️ 日本でも珍しい!国宝「九間社流造」の本殿

境内に入ってまず注目したいのが、国宝に指定されている「本殿」です。

この建物は、応安3年(1370年)に、室町時代の大名・**大内弘世(おおうちひろよ)**によって造営されました。

ここが凄い!

  • 建築様式: 「九間社流造(くげんしゃながれづくり)」という、全国でも非常に珍しい造りです。
  • 保存状態: 室町時代初期の面影を今によく留めており、その美しさと歴史的価値から国宝に指定されています。

⚔️ 毛利元就が寄進!重要文化財の「拝殿」

本殿の手前にある「拝殿」も、見逃せない歴史遺産です。

こちらは、戦国時代の知将として有名な**毛利元就(もうりもとなり)**が、天文8年(1539年)に寄進したもの。

檜皮葺き(ひわだぶき)の趣ある屋根が特徴で、こちらも国の重要文化財に指定されています。

大内氏や毛利氏といった歴史上のビッグネームが関わっていることからも、この神社の重要性が伝わってきますね。


🌾 四季を彩る伝統のお祭り

住吉神社では、古くから伝わる神事も大切に受け継がれています。

  • 旧暦元旦: 「和布刈(めかり)祭」
  • 5月: 「お田植祭」
  • 12月: 「河渡(かわたり)祭」

また、宝物館には「銅鐘」や「金銅牡丹唐草透唐鞍(こんどうぼたんからくさすかしからくら)」などの重要文化財も収められており、その深い歴史と社格を偲ばせます。


ℹ️ 基本情報&アクセス

新下関駅からも近く、アクセス良好です。国宝パワーを感じに訪れてみませんか?

項目内容
スポット名住吉神社(長門一の宮)
所在地下関市一の宮住吉1-11-1
文化財本殿(国宝)、拝殿(重要文化財)など
お問い合わせ083-256-2638

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「新下関駅」からバスで約3分、「一の宮」バス停下車、徒歩6分

💖 まとめ

国宝の本殿に、毛利元就ゆかりの拝殿。

下関の住吉神社は、建築美と歴史ロマンが凝縮されたパワースポットです。

美しい社殿を眺めながら、悠久の時を超えて受け継がれてきた「一の宮」の空気に触れてみてはいかがでしょうか?

【新下関】駅から徒歩6分!「秋根古墳」で6世紀のミステリーと公園散歩

新幹線も停車するターミナル駅「新下関駅」。

そこから歩いてわずか6分、住宅街の中にある公園に、古代のタイムカプセルが眠っているのをご存知ですか?

その名は「秋根古墳(あきねこふん)」。

神社と一体になった不思議なロケーションで、古代の有力者が眠る6世紀の世界を感じられるスポットです。

今回は、駅チカで気軽に歴史ロマンに触れられる、秋根古墳の見どころをご紹介します!


⛩️ 神社の裏に発見!2つの古墳が並ぶ公園

秋根古墳があるのは、「秋根記念公園」の中。

ここには「1号墳」と「2号墳」、2つの古墳が並んで保存されています。

明治時代に見つかった「1号墳」

公園内にある「秋根八幡宮」の裏手にひっそりとあるのが、1号墳です。

明治20年(1877)頃、神社の社殿を改修している時に発見されました。

6世紀中頃に造られた円形墳(円墳)だと推定されており、発見されたそのままの場所で保存されています。

引っ越してきた「2号墳」

そのすぐ西隣にあるのが2号墳。

もともとは南へ約100m離れた場所にあったものを、昭和50年の調査時の姿でここに移築・復元しました。

2つの古墳を見比べながら、古代の風景を想像してみるのも面白いですね。


🗡️ おしゃれアイテムや武器も!出土品のロマン

ただのお墓ではありません。これらの古墳からは、当時の人々の暮らしや身分を伝える貴重な品々が出土しています。

  • 装身具: 勾玉(まがたま) などのアクセサリー
  • 武具・馬具: 太刀(たち) などの武器や、馬につける道具

きらびやかな装飾品や武具と共に埋葬された人物は、この地域を治めていた有力なリーダーだったのかもしれません。


🙏 江戸時代以前から続く「秋根八幡宮」

古墳を守るように鎮座する「秋根八幡宮」も、歴史ある神社です。

本殿の建造年代から、江戸時代の前期以前にはすでに祀られていたと考えられています。

古墳見学とあわせて、静かな境内でお参りをして心を整えるのもおすすめです。


ℹ️ 基本情報&アクセス

新下関駅からのお散歩コースにぴったりです。

項目内容
スポット名秋根古墳(秋根記念公園内)
所在地下関市秋根西町一丁目
見どころ円形墳(1号墳・2号墳)、秋根八幡宮
お問い合わせ083-231-1350(市観光振興課)

🚗 アクセス

  • 【徒歩】
    • JR「新下関駅」から徒歩6分

💖 まとめ

駅のすぐそばに残る、1500年前の古墳と歴史ある神社。

「秋根古墳」は、現代の街並みの中でふと古代の風を感じられる、貴重な癒やしスポットです。

新幹線の待ち時間や、休日のちょっとしたお散歩に、古代ロマンを探しに行ってみませんか?

【新下関】毛利元就の妻が眠る場所。歴史の陰に咲いた「普賢寺」の物語

新幹線の停車駅でもある「新下関駅」。

近代的な駅の周辺に、戦国時代を代表する智将・**毛利元就(もうりもとなり)**ゆかりの寺院がひっそりと佇んでいるのをご存知ですか?

駅から徒歩わずか7分の場所にある「普賢寺(ふげんじ)」。

ここは、元就を支えた継室(後妻)・**乃美大方(のみのおおかた)**の菩提寺として、長府毛利家のルーツを今に伝える場所です。

今回は、駅からのお散歩コースにもぴったりな、戦国の女性の歴史を巡る旅へご案内します。


👘 毛利家を支えた女性「乃美大方」とは?

乃美大方は、毛利元就の正室・妙玖(みょうきゅう)が亡くなった後、小早川家臣の乃美氏から継室として嫁いだ女性です。

彼女は元就との間に、四男・元清、七男・元政、九男・秀包という3人の男の子をもうけました。

長府藩祖・毛利秀元の「おばあちゃん」

特に重要なのが、四男の**元清(もときよ)です。

彼は、後に長府藩の初代藩主となる毛利秀元(ひでもと)**の父にあたります。

つまり、乃美大方は長府藩祖・秀元にとっての祖母。このお寺は、長府毛利家の始まりに深く関わる、とても大切な場所なのです。


🪦 2つの場所に眠る魂。「灰塚」の秘密

普賢寺は、慶長6年(1601年)に下関市秋根で亡くなった乃美大方を弔うために建立されました。

功山寺と普賢寺の関係

歴史ファンなら「毛利家の墓所といえば長府の功山寺では?」と思うかもしれません。

確かに、乃美大方の本墓は長府の功山寺にあります。

しかし、ここ普賢寺の道路を隔てた東側墓地には、彼女の**「灰塚(はいづか)」**が残されているのです。

華やかな功山寺とは対照的に、静かに彼女を偲ぶことができるもう一つの聖地。

両方を訪れることで、彼女の生涯により深く触れることができるでしょう。


ℹ️ 基本情報&アクセス

新幹線の待ち時間や、新下関エリアの散策ついでに気軽に立ち寄れます。

項目内容
スポット名普賢寺(ふげんじ)
所在地下関市秋根本町 1-2-8
由緒乃美大方(毛利元就継室)の菩提寺
お問い合わせ083-256-2956

🚗 アクセス

  • 【徒歩】
    • JR「新下関駅」から徒歩7分

💖 まとめ

戦国の世を生き、毛利家を支えた女性、乃美大方。

新下関の街角に残る「普賢寺」は、そんな彼女の想いが静かに眠る場所です。

駅から歩いて行ける歴史散策。

少し時間をとって、戦国ロマンの余韻に浸ってみませんか?

【下関】プールも温泉も!余熱利用のエコな楽園「ヘルシーランド下関」でリフレッシュ

下関市にある「ヘルシーランド下関」は、ただのスポーツ施設ではありません。

ここは、隣接する環境センター(ゴミ焼却場)で発生する余熱を有効活用した、とってもエコで快適な健康増進施設なんです。

一年中泳げる温水プールから、露天風呂まで完備した大浴場、さらにレストランまで!

今回は、心も体もポカポカになれる、下関市民の癒やしスポットをご紹介します。


🏊‍♂️ 冬でも常夏!?通年楽しめる「温水プール」

ここの自慢は、焼却余熱を利用して一年中快適な温度に保たれた温水プールです。

本格的な泳ぎから水遊びまで、幅広いニーズに対応しています。

  • 50メートルプール: しっかり泳ぎたい方に!
  • 25メートルプール: 運動不足解消やウォーキングに最適。
  • 幼児用プール: 小さなお子様連れでも安心して楽しめます。

天候を気にせず、いつでもリゾート気分で泳げるのが嬉しいですね。


♨️ 露天に薬湯!充実の「大浴場」で癒やしタイム

運動の後は、種類豊富なお風呂でリラックス。

「ヘルシーランド」の名にふさわしく、お風呂の設備もスーパー銭湯顔負けの充実ぶりです。

  • 多彩な浴槽: 普通湯はもちろん、寝湯薬湯で日頃の疲れをじっくり癒やせます。
  • 露天風呂: 外の風を感じながら開放的な気分に。
  • サウナ: しっかり汗をかいて「整う」こともできます。

🎾 テニスにグルメも!一日中遊べる充実施設

プールとお風呂だけじゃありません。敷地内には様々な施設が揃っており、一日中楽しむことができます。

  • 屋外スポーツ: テニスコートゲートボール場で、爽やかな汗を流せます。
  • 屋内施設: 健康増進室やふれあいホールも完備。
  • レストラン: お腹が空いたら館内のレストランで食事も可能です。

ℹ️ 基本情報&アクセス

新下関駅からバスで一本。手ぶらでふらっと立ち寄れる気軽さも魅力です。

項目内容
施設名ヘルシーランド下関
所在地下関市大字井田、大字小野
特徴ごみ焼却余熱利用施設、温水プール、大浴場
お問い合わせ083-256-6926

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「新下関駅」からバスで約16分、「ヘルシーランド下関」下車、すぐ

💖 まとめ

エコなエネルギーで沸かしたお湯とプール。

「ヘルシーランド下関」は、地球にも人にも優しい、心温まるリフレッシュスポットです。

次の休日は、家族みんなで、あるいは一人でのんびりと、健康的な一日を過ごしてみませんか?

【下関】明治から現役!英国人が選んだ「内日水道水源池」でレトロな水辺散歩

下関市の山間、豊かな自然に囲まれた場所に、明治時代から市民の喉を潤し続けている美しい水源地があります。

その名は「内日(うつい)水道水源池」。

湖面に浮かぶ取水塔など、明治末期から昭和初期にかけて造られたレトロな水道施設が、今もなお現役で稼働している貴重なスポットです。

今回は、英国人技師が選んだ「最適な水」の物語と、近代化の歴史を感じる水辺の風景をご紹介します。


🇬🇧 英国人技師バルトンが見つけた「最適地」

この水源地の歴史は、明治24年(1891年)にまでさかのぼります。

当時、近代的な上水道の建設を目指していた下関市は、内務省の技師でイギリス人のウイリアム・K・バルトンに調査を依頼しました。

彼が調査の結果、「上水道の水源地として最適である」と報告したのが、当時の豊浦郡内日村の一ノ瀬(現在の場所)でした。

その後、日清戦争の影響などで着工は遅れましたが、明治34年(1901年)についに工事が始まり、4年の歳月を経て完成。

明治39年(1906年)の元旦、ついに待望の給水が開始されました。


💧 街の発展とともに。「第二貯水池」の建設

給水開始後、下関市は都市として大きく発展していきました。

それに伴い、水の需要も多様化し、増加の一途をたどります。

そこで、最初につくられた内日貯水池からさらに500mほど上流に、「第二貯水池」が築造されることになりました。

大正14年(1925年)に着工し、昭和4年(1929年)に完成。

こうして、明治と昭和、二つの時代に造られた貯水池が、今も変わらず美しい水を湛えているのです。


🏛️ 水面に浮かぶ「近代化遺産」の美しさ

内日水道水源池の魅力は、その機能美にあります。

静かな水面に佇む取水塔や堰堤(えんてい)は、当時の土木技術の粋を集めた重厚なデザイン。

周囲の自然と調和したその姿は、四季折々に美しい表情を見せてくれます。


ℹ️ 基本情報&アクセス

新下関駅からバスで約20分。

歴史のロマンと、清らかな水辺の空気に癒やされに行きませんか?

項目内容
スポット名内日水道水源池(うついすいどうすいげんち)
所在地下関市内日町
歴史明治39年給水開始(第一)、昭和4年完成(第二)
お問い合わせ083-231-1350(下関市観光振興課)

🚗 アクセス

  • 【バス】
    • JR「新下関駅」からバスで約20分、「一之瀬」バス停下車、すぐ

💖 まとめ

100年以上も前から下関の暮らしを支え続ける「内日水道水源池」。

英国人技師の選んだ地で、明治・大正・昭和と受け継がれてきた「水」の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

【下関】明治天皇の叔父とラストエンペラーの弟が眠る聖地「中山神社」

下関市綾羅木(あやらぎ)の静かな住宅街に、日本の幕末と中国の清朝末期、激動の歴史を背負った二つの魂が寄り添うように祀られている場所があります。

その名は「中山神社(なかやまじんじゃ)」と、その境内にある「愛新覚羅社(あいしんかくらしゃ)」。

明治維新の先駆者である公卿と、映画『ラストエンペラー』でも知られる清朝皇帝の弟。

時代も国も越えて、不思議な縁で結ばれたこの聖地の歴史ミステリーをご紹介します。


⚔️ 明治天皇の叔父!幕末の風雲児「中山忠光」

中山神社の祭神は、**中山忠光(なかやまただみつ)**という人物です。

彼はなんと、明治天皇の叔父にあたる高貴な身分の公卿でした。

尊王攘夷に燃えた若き貴公子

公家でありながら武芸を好み、尊王攘夷(そんのうじょうい)運動に身を投じた「幕末の風雲児」。

天誅組(てんちゅうぐみ)の変などで活躍しましたが、元治元年(1864年)、逃げ延びた長州藩で俗論党(保守派)によって暗殺されてしまいます。

中山神社は、志半ばで倒れた彼の遺志を継ぎ、その精神を後世に伝えるために建立されました。


🇨🇳 ラストエンペラーの弟と「流転の王妃」

境内にひっそりと佇む「愛新覚羅社」。

ここには、清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)の弟である**愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ)と、その妻・浩(ひろ)、そして長女の慧生(えいせい)**が祀られています。

忠光と浩の深いつながり

なぜ、中国皇族の社がここにあるのでしょうか?

実は、妻の浩(嵯峨浩)は、**中山忠光の曾孫(ひまご)**にあたるのです。

国境を超えた政略結婚、満州国の崩壊、離れ離れの日々…。『流転の王妃』として知られる浩と溥傑の数奇な運命は、最終的に祖先である忠光のそばで安らぎを得ることとなりました。

ここは、日中両国の歴史と絆を今に伝える貴重な場所です。


ℹ️ 基本情報&アクセス

綾羅木駅から徒歩圏内。歴史ファンならずとも訪れておきたいパワースポットです。

項目内容
スポット名中山神社・愛新覚羅社
所在地下関市綾羅木本町7-10-8
祭神中山忠光、愛新覚羅溥傑・浩・慧生
お問い合わせ083-253-0704

🚗 アクセス

  • 【電車】
    • JR山陰本線「綾羅木(あやらぎ)駅」から徒歩12分
  • 【バス】
    • JR「下関駅」からバスで約31分、「綾羅木中山神社前」下車、すぐ
  • 【車】
    • 下関ICから約25分

💖 まとめ

幕末の志士たちの熱い想いと、日中両国の激動の歴史を生き抜いた家族の愛。

中山神社と愛新覚羅社は、静かな境内で私たちに歴史の深さと平和の尊さを語りかけてくれます。

下関を訪れた際は、この不思議な縁で結ばれた聖地に、ぜひ足を運んでみてください。


近くにある「綾羅木海水浴場」や、下関北部の観光スポット「考古博物館」の情報についてもご紹介できますが、いかがでしょうか?