赤間神宮小門御旅所

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 寿永4年(1185)3月24日源平船合戦において、平家一門と壇ノ浦で入水した安徳天皇のご遺体がこの小門(おど)海峡に流れ着き、中島家によって引き上げられ密かに葬られた場所と伝えられています。

 この小門の地は、先帝祭御神幸祭お旅所として「先帝祭上臈参拝」の翌日(5月4日)、赤間神宮から御鳳輦(ごほうれん)を奉じて行列し祭事が行われます。

 古代衣装を着飾った崇敬会員や稚児らが奉仕されます。

 所在地  下関市伊崎町2-9-21

 交通   JR下関駅からバス2分「竹崎」下車、徒歩10分

      JR下関駅から徒歩15分

 問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350

 

 

 

 

 

 

高杉晋作終焉の地

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 桜山神社近くの小さな庵で療養生活を送っていましたが、慶応3年(1867)3月身を案じた正妻のマサが、看病のため萩から訪れたことを機に、新地の庄屋林算九郎邸の離屋に移り療養を続けました。

 慶応3年(1867)4月14日、明治維新の直前に、27歳8カ月の短い生涯を閉じました。

 葬儀は白石正一郎がとりしきり、参列者は奇兵隊関係者や一般庶民約三千人の盛大なものであったと言われ、遺骸は遺言によって奇兵隊ゆかりの地、吉田の清水山に埋葬されました。

 

 

 所在地  下関市新地町3 妙蓮寺前

 交通   JR下関駅から高尾線バス4分「厳島神社前」下車、すぐ

      JR下関駅から徒歩9分

 問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350

 

 

 

 

 

 

 

 

 

萩藩新地会所跡

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 萩本藩の出先機関だったところで、厳島神社参道の横に碑が建立されています。

 藩政改革を唱える高杉晋作は、元治元年(1864)12月15日、長府功山寺で挙兵した後、最初に新地会所を襲撃したことで知られています。

 所在地  下関市上新地町1丁目 厳島神社入り口横

 交通   JR下関駅から高尾線バス4分「厳島神社前」下車、すぐ

      JR下関駅から徒歩11分

 問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350

厳島神社

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 平家一門が安芸国の厳島神社の分霊をいただき、守護神として船中に安置していましたが、壇之浦の合戦後磯辺に放置されていたものを、長府村の里人がお告げによりこれを発見して、現在の所に祭ったと伝えられています。

寿永4年(1185)に社殿を建立し、更に安芸国の厳島神社から分霊を勧請しました。

 慶応2年(1866)小倉戦争に勝った戦利品として、奇兵隊が小倉城から持ち帰った大太鼓は長府藩主に献じられ、のちさらに厳島神社へ奉納されたもので、今も太鼓堂に吊り下げられています。

 所在地  下関市上新地町1丁目1-11

 交通   JR下関駅からバス4分「厳島神社前」下車、すぐ

      JR下関駅から徒歩11分

 問い合わせ 厳島神社 083-232-1138

高杉晋作療養の地

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 慶応2年(1866)6月に始まった四境戦争(第二次長州征伐)では、奇兵隊などの諸隊を率い幕府軍を小倉口で撃退しましたが、既に病に冒されており、9月突然多量の喀血をみて10月に職を解かれ、療養に専念することになりました。

 病状が進み白石宅から、桜山神社の近くに小さな家を建てて移り、野村望東尼、愛人おうのの看病による療養生活を送りました。

 この家を東行庵とも捫蝨処とも称したと言われています。









 所在地  下関市桜山町

 交通   JR下関駅から高尾線バス4分「厳島神社前」下車、徒歩3分

 問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桜山神社(招魂社)

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 桜山神社招魂場は文久4年(1864)1月、晋作の発議で新地岡の原(通称桜山)に創建されたもので、慶応元年(1865)8月には社殿も造営され鎮座祭が行われました。

 かつてこの地は奇兵隊の調練場でもあったところで、創建当初は文久3年の下関攘夷戦で戦死した奇兵隊士の霊を弔うものであったが、後に四境・戊辰の役の戦死者や、長州の尊皇討幕運動に輝かしい名をとどめた吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、さらには山県有朋らの霊も加えられた。

 本殿裏には396柱の霊標が整然とならび、中央の吉田松陰のものがやや高く、両側には高杉晋作、久坂玄端が並び、士庶の別なく同じ高さである。側面に奇兵隊の役職や没年を刻んだものや、ただ名前だけの霊標もあり、維新に散った志士たちがまつられています。

 所在地  下関市上新地町 2-6-22

 交通   JR下関駅からバス5分「厚生病院前」下車、徒歩5分

 問い合わせ 桜山神社 083-222-6735

 

了円寺

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 天和3年(1683)西祐の開基。現在地よりも後方の山のふもとに、畠山重忠の孫、法名了円というものが、既に創建していたものであると伝えられている。

 元治元年(1864)12月15日、長府功山寺で決起した高杉晋作たちが、新地会所を襲撃したあと、暫くの間たてこもったお寺です。

 本堂の柱には、挙兵軍の兵士たちがつけた刀傷が今でも残っています。

 所在地  下関市大平町10-20

 交通   JR下関駅からバス6分「了円寺」下車、徒歩2分

 問い合わせ 了円寺 083-222-0783

 

六連島

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 日本書紀にも「没利(もつり)島」として登場する歴史のある島で、「六連島」の由来は、大小6つの島が連なっている様子から、この名が名付けられたという説と、西教寺を開いた麻生与三衛門高房など6名が初めて六連島に渡って、土地を分けるために縄で島を6等分したためという説があります。

 島の中央部の台地(標高約100m)では、温暖な気候であることから花きのハウス栽培が盛んで、収穫された花は北九州などへ出荷されています。

 島内には、日本でもっとも早く建造された洋式灯台の一つである六連島灯台や、国の天然記念物に指定された雲母玄武岩など名所旧跡が残されているほか、ウニの瓶詰め発祥の地でもあります。

 所在地  下関市六連島

 交通   竹崎渡船場から連絡船が毎日4往復運航、所要時間は20分

      竹崎渡船場まで、JR下関駅西口から徒歩5分

 問い合わせ 下関市営渡船事務所 083-222-1305