日清講和記念館

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 日清講和記念館は、日清戦争(1894)の講和会議に使用された調度品や写真、その他の貴重な資料などを広く一般に公開、展示するため、昭和10年(1935)から2年かけて春帆楼に隣接して建てられたもので、館内中央には当時の様子が再現されています。

 日清講和会議は、明治28年(1895)3月20日から4月17日まで下関の「春帆楼」で、清国講和全権大臣・李鴻章と日本全権弁理大臣・伊藤博文を主軸とする両国代表11名によって行われました。

 会議が29日間行われたのは、清国の大使李鴻章が3月24日午後4時ごろ宿舎引接寺への帰途、凶漢に狙撃され負傷したため会議が一時中断したからです。

 会議は4月10日に再開され、17日に清国の李鴻章と日本の伊藤博文の間で日清講和条約(下関条約)が調印されました。

 所在地  下関市阿弥陀寺町

 交通   JR下関駅からバス9分「赤間神宮前」下車、徒歩2分

 問い合わせ 教育委員会文化財保護課 083-231-4697

史蹟春帆楼

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 慶応4年(1868)3月の排佛棄釈によって廃寺となった、阿弥陀寺の方丈跡を近くの眼科医・藤野玄洋が買い取り、明治10年(1877)に月波楼医院を開業しました。

 その後、妻のミチはこれを改造して割烹を兼ねた旅館として開業し、三棟あった店を、向かって右から月波楼、春帆楼、風月楼と呼んでいました。

 その中の春帆楼という名称は、伊藤博文が名付けたものだそうです。

 明治21年(1888)時の総理大臣・伊藤博文が、春帆楼でふく料理を食したのを契機に、豊臣秀吉によって出されいた「フグ食用禁止令」は解かれ、「ふぐ料理」の公許第1号店となりました。

 明治28年(1895)3月20日から4月17日まで下関の「春帆楼」で、清国講和全権大臣・李鴻章と日本全権弁理大臣・伊藤博文を主軸とする両国代表11名によって、日清講和会議が行われました。

 所在地  下関市阿弥陀寺町4-2

 交通   JR下関駅からバス9分「赤間神宮前」下車、徒歩2分

 問い合わせ 春帆楼 083-223-7181

 

本陣伊藤邸跡

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 伊藤家は町内の大年寄で、奉行を務めた家柄でした。

 江戸時代には参勤交代時、大名の宿となる下関の東の本陣を務め、幕末の当主は、シーボルトや吉田松陰らとの親交や、坂本龍馬が邸内の一室を自然堂と称し、妻・お龍(りょう)を呼び寄せて逗留したことでも知られます。

 龍馬が京都で暗殺された時も妻のお龍はここに滞在していました。

 昭和20年の戦災で建物は貴重な資料とともに焼け、現在は「本陣伊藤邸址」の碑があるだけです。

 所在地  下関市阿弥陀寺町5番

 交通   JR下関駅からバス9分「赤間神宮前」下車、徒歩3分

 問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350

 

 

 

 

 

 

藤原義江記念館(紅葉館)

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 関門海峡を望む小高い丘の上に建つこの建物は、かつて英国領事館の公邸や貿易商社の宿舎として使用されていました。

 現在は、義江の父リードの勤めた瓜生商会の異人館の場所に、義江の歌が流れ、数々の遺品や写真が展示された藤原義江記念館(紅葉館)があります。

 藤原義江は、明治31年(1898)に瓜生商会の総支配人であった英国人ネール・ブロディ・リードと、芸者坂田キクとの間に下関で生まれました。

 演劇に憧れ、沢田正二郎の新国劇に入りましが、ローシー歌劇団の公演を聞いて、オペラに惹かれ、大正7年(1918)戸山英二郎の名で浅草オペラにデビューしました。大正9年(1920)イタリアに留学し、欧米各国で演奏活動を行い、3年後の大正12年(1923)に帰国しました。

 昭和9年(1934)藤原歌劇団を創立、同年の「ラ・ボエーム」を第1回として、我が国に本格的なグランド・オペラを次々と紹介し、オペラ普及運動に力を尽しました。

 義江は昭和51年(1976)に77歳の生涯を閉じました。

 見学は事前に予約が必要です。

 所在地  下関市阿弥陀寺町3-14

 交通   JR下関駅からバス9分「赤間神宮前」下車、徒歩5分

 問い合わせ 藤原義江記念館(紅葉館)083-234-4015

引接寺(三門)

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 永禄3年(1560)に創建された古刹。朝鮮通信使や明治28年(1895)、日清講和会議が下関で開かれた際、李鴻章ら清国の全権一行など要人の宿泊場所にあてられた由緒ある寺院です。

 怪物に化けたという伝説の龍の彫刻(左甚五郎作ともいわれる)が三門(市指定文化財、「山門」ともいう)にあります。

 所在地  下関市中之町11-9

 交通   JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩6分

 問い合わせ 引接寺 083-222-0514

 

 

 

 

 

 

 

亀山八幡宮

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 由緒記によれば、平安時代貞観元年(859)宇佐神宮より分霊を勧請し創建されたと伝えられる古社で、市民からは「関の氏神」として親しまれています。

 2月の凧上げ大会、5月の五穀祭・八丁浜、7月の夏越祭の花火大会では多くの市民や県内外の人々でにぎわいます。

 境内には林芙美子文学碑、世界最大のふくの銅像、亀山砲台跡など多くの史跡があります。

 所在地  下関市中之町1-1

 交通   JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩5分

 問い合わせ 亀山八幡宮 083-231-1323

 

 

 

 

 

 

 

亀山砲台跡

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 文久3年(1863)5月10日、横浜から長崎を経て上海に向かうため、アメリカ商船が関門海峡を通過しようとしましたが、風波と逆潮流のため豊前田浦沖(現在の北九州市門司区)に碇泊しました。

 5月11日午前2時久坂玄瑞の指揮により、豊前田浦沖に碇泊しているアメリカ商船攻撃合図の砲弾が亀山砲台から発射されました。

 夜陰に突如、長州藩の軍艦庚申丸、癸亥丸の襲撃を受けた同船は、あわてて錨を巻き上げ豊後水道に向かったため、藩艦もこれを追いましたが、船脚に格段の差がありたちまちその船影を見失ってしまいました。

 このようにして、馬関攘夷戦の火ぶたはきられたといいます。

 所在地 下関市中之町1-1亀山八幡宮

 交通 JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩5分

 問い合わせ 亀山八幡宮 083-231-1323

馬関名物たこあげ大会

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 亀山八幡宮の節分祭行事の一環として行なわれる「たこあげ大会」で、ふく凧の連凧や、見島 の「鬼揚子」と呼ばれる大きな凧も揚げられます。

 下関に春を告げる行事として親しまれ、多くの家族連れで賑わいます。

 見島は山口県萩市にある、日本海に浮かぶ小さな島ですが、長男が初正月を迎える家では、子供の健康と出世を願って大きな鬼楊子を作り、正月の晴天の日に凧揚げが行われ、高く揚がれば揚がるほど縁起が良く、子どもが元気に育つと言い伝えられているそうです。

 所在地 下関市中之町1-1

 交通 JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩5分

 問い合わせ 亀山八幡宮 083-231-1323

 

 

 

 

 

 

 

唐戸市場

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 下関はもちろん、北九州の食のプロも通う歴史ある市場で、水産物が豊富です。

 小売も行っているので一般の人も買い物が楽しめ、朝早く出かければ新鮮な魚を安く手に入れることができます。

 市場内の様子を一望できる見学デッキや屋上芝生広場、食堂、喫茶店、水産加工品の小売店等もあります。

 金・土・日・祝日には、海鮮屋台が出て新鮮な魚介類がその場で味わえます。?

 所在地  下関市唐戸町5-50

 交通   JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩約4分

 問い合わせ 下関市地方市場課 083-231-1440

 

 

 

 

 

 

 

カモンワーフ

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 「カモンワーフ」は「食」べて「遊」んで「海」を「感」じるをテーマに新鮮な海の幸をお楽しみいただけるレストラン・お食事処やファーストフード、お土産品店など多彩なショップを備えた新しい複合商業施設です。

 海響館と唐戸市場の間に位置し、ボードウォークや3Fのスカイガーデンから、関門海峡が一望できるという絶好のロケーションにも恵まれ、連日たくさんのお客様で賑わっています。

 所在地  下関市唐戸町6-1

 交通   JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩2分

 問い合わせ カモンワーフ事務局 083-228-0330