みもすそ川公園

IMG_0686.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 公園前に広がる海は関門海峡の一番狭まったところで早鞆(はやとも)の瀬戸といわれ、潮の流れが速く、潮流の変化が激しい海の難所です。

 ここは、源平壇之浦合戦の古戦場を一望出来る場所で、当時を偲ぶ義経・知盛像や石碑、歌碑があります。

 また、幕末の攘夷戦で外国船を砲撃した砲台跡でもあり、今もレプリカの長州砲が関門海峡をにらんで展示されています。

 所在地  下関市みもすそ川町1番

 交通   JR下関駅からバス12分「みもすそ川」下車すぐ

 問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350

 

 

 

 

 

 

関門トンネル人道

IMG_1522.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 関門国道トンネルは全長3461.4mで、昭和33年3月に開通しました。

 下関側車道入り口は、約1.4km離れた場所にありますが、御裳川から対岸門司のめかりとの間780mは、世界的にも珍しい歩行者用海底トンネルです。

 関門トンネルの人道口からエレベーターを利用し、地下55mのエレベーターホールへ 降りると、約15分で関門海峡を歩いて渡ることができます。

通行可能時刻 6:00〜22:00、歩行者無料、自転車・原付は20円。

 所在地  下関市みもすそ川町22-34

 交通   JR下関駅からバス12分「みもすそ川」下車すぐ

 問い合わせ JH下関管理事務所 083-232-2811

 

 

 

 

 

 

平和のシンボル関門橋

050_IMG_2.JPG

 海峡の潮の流れが変わるように、時代の流れの変化にかかわりのある関門海峡です。

 太平洋戦争中も米軍機は執拗に機雷投下を繰り返し海峡閉鎖を狙いました。下関市史によると、日本の沿岸各地に投下された機雷数は総計11,090個、このうち、半数近い4,696個の機雷が関門海峡に投下された。

 この機雷の被害は投下早々から続出し、安全水路の確保に努力したが、被害は増すばかりで8月に入ると、ほとんど関門海峡は閉鎖状態だった。昭和20年8月15日太平洋戦争の終結により、4ヶ月あまり続いた関門に対する機雷攻撃は終止した。

 戦後、あちこちに沈船のマストのみが海面に露出している光景が見られ、船の墓場と化した関門海峡も、懸命の掃海作業によつて昭和27年5月15日港湾、航路の安全宣言が行われた。

 ところが実際には、安全ルートをはずれた海域を航行する船舶の触雷事故はその後も発生し、昭和40年代まで関門の掃海を継続したと言います。

 今眺める関門海峡には多くの船舶が行き交い、本州と九州を結ぶ関門橋が架かる、その景観は実にすばらしく美しい、いつまでも平和な社会であってほしいものです。

 所在地  下関市みもすそ川町

 交通   JR下関駅からバス12分「みもすそ川」下車すぐ

 問い合わせ JH下関管理事務所 083-232-2811

日清講和記念館

IMG_1356.JPG

 日清講和記念館は、日清戦争(1894)の講和会議に使用された調度品や写真、その他の貴重な資料などを広く一般に公開、展示するため、昭和10年(1935)から2年かけて春帆楼に隣接して建てられたもので、館内中央には当時の様子が再現されています。

 日清講和会議は、明治28年(1895)3月20日から4月17日まで下関の「春帆楼」で、清国講和全権大臣・李鴻章と日本全権弁理大臣・伊藤博文を主軸とする両国代表11名によって行われました。

 会議が29日間行われたのは、清国の大使李鴻章が3月24日午後4時ごろ宿舎引接寺への帰途、凶漢に狙撃され負傷したため会議が一時中断したからです。

 会議は4月10日に再開され、17日に清国の李鴻章と日本の伊藤博文の間で日清講和条約(下関条約)が調印されました。

 所在地  下関市阿弥陀寺町

 交通   JR下関駅からバス9分「赤間神宮前」下車、徒歩2分

 問い合わせ 教育委員会文化財保護課 083-231-4697

史蹟春帆楼

IMG_1347.JPG

 慶応4年(1868)3月の排佛棄釈によって廃寺となった、阿弥陀寺の方丈跡を近くの眼科医・藤野玄洋が買い取り、明治10年(1877)に月波楼医院を開業しました。

 その後、妻のミチはこれを改造して割烹を兼ねた旅館として開業し、三棟あった店を、向かって右から月波楼、春帆楼、風月楼と呼んでいました。

 その中の春帆楼という名称は、伊藤博文が名付けたものだそうです。

 明治21年(1888)時の総理大臣・伊藤博文が、春帆楼でふく料理を食したのを契機に、豊臣秀吉によって出されいた「フグ食用禁止令」は解かれ、「ふぐ料理」の公許第1号店となりました。

 明治28年(1895)3月20日から4月17日まで下関の「春帆楼」で、清国講和全権大臣・李鴻章と日本全権弁理大臣・伊藤博文を主軸とする両国代表11名によって、日清講和会議が行われました。

 所在地  下関市阿弥陀寺町4-2

 交通   JR下関駅からバス9分「赤間神宮前」下車、徒歩2分

 問い合わせ 春帆楼 083-223-7181

 

本陣伊藤邸跡

IMG_1346.JPG

 伊藤家は町内の大年寄で、奉行を務めた家柄でした。

 江戸時代には参勤交代時、大名の宿となる下関の東の本陣を務め、幕末の当主は、シーボルトや吉田松陰らとの親交や、坂本龍馬が邸内の一室を自然堂と称し、妻・お龍(りょう)を呼び寄せて逗留したことでも知られます。

 龍馬が京都で暗殺された時も妻のお龍はここに滞在していました。

 昭和20年の戦災で建物は貴重な資料とともに焼け、現在は「本陣伊藤邸址」の碑があるだけです。

 所在地  下関市阿弥陀寺町5番

 交通   JR下関駅からバス9分「赤間神宮前」下車、徒歩3分

 問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350

 

 

 

 

 

 

藤原義江記念館(紅葉館)

IMG_0278.JPG

 関門海峡を望む小高い丘の上に建つこの建物は、かつて英国領事館の公邸や貿易商社の宿舎として使用されていました。

 現在は、義江の父リードの勤めた瓜生商会の異人館の場所に、義江の歌が流れ、数々の遺品や写真が展示された藤原義江記念館(紅葉館)があります。

 藤原義江は、明治31年(1898)に瓜生商会の総支配人であった英国人ネール・ブロディ・リードと、芸者坂田キクとの間に下関で生まれました。

 演劇に憧れ、沢田正二郎の新国劇に入りましが、ローシー歌劇団の公演を聞いて、オペラに惹かれ、大正7年(1918)戸山英二郎の名で浅草オペラにデビューしました。大正9年(1920)イタリアに留学し、欧米各国で演奏活動を行い、3年後の大正12年(1923)に帰国しました。

 昭和9年(1934)藤原歌劇団を創立、同年の「ラ・ボエーム」を第1回として、我が国に本格的なグランド・オペラを次々と紹介し、オペラ普及運動に力を尽しました。

 義江は昭和51年(1976)に77歳の生涯を閉じました。

 見学は事前に予約が必要です。

 所在地  下関市阿弥陀寺町3-14

 交通   JR下関駅からバス9分「赤間神宮前」下車、徒歩5分

 問い合わせ 藤原義江記念館(紅葉館)083-234-4015

引接寺(三門)

IMG_1514.JPG

 永禄3年(1560)に創建された古刹。朝鮮通信使や明治28年(1895)、日清講和会議が下関で開かれた際、李鴻章ら清国の全権一行など要人の宿泊場所にあてられた由緒ある寺院です。

 怪物に化けたという伝説の龍の彫刻(左甚五郎作ともいわれる)が三門(市指定文化財、「山門」ともいう)にあります。

 所在地  下関市中之町11-9

 交通   JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩6分

 問い合わせ 引接寺 083-222-0514

 

 

 

 

 

 

 

亀山砲台跡

IMG_0877.JPG

 文久3年(1863)5月10日、横浜から長崎を経て上海に向かうため、アメリカ商船が関門海峡を通過しようとしましたが、風波と逆潮流のため豊前田浦沖(現在の北九州市門司区)に碇泊しました。

 5月11日午前2時久坂玄瑞の指揮により、豊前田浦沖に碇泊しているアメリカ商船攻撃合図の砲弾が亀山砲台から発射されました。

 夜陰に突如、長州藩の軍艦庚申丸、癸亥丸の襲撃を受けた同船は、あわてて錨を巻き上げ豊後水道に向かったため、藩艦もこれを追いましたが、船脚に格段の差がありたちまちその船影を見失ってしまいました。

 このようにして、馬関攘夷戦の火ぶたはきられたといいます。

 所在地 下関市中之町1-1亀山八幡宮

 交通 JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩5分

 問い合わせ 亀山八幡宮 083-231-1323

馬関名物たこあげ大会

IMG_0873.JPG

 亀山八幡宮の節分祭行事の一環として行なわれる「たこあげ大会」で、ふく凧の連凧や、見島 の「鬼揚子」と呼ばれる大きな凧も揚げられます。

 下関に春を告げる行事として親しまれ、多くの家族連れで賑わいます。

 見島は山口県萩市にある、日本海に浮かぶ小さな島ですが、長男が初正月を迎える家では、子供の健康と出世を願って大きな鬼楊子を作り、正月の晴天の日に凧揚げが行われ、高く揚がれば揚がるほど縁起が良く、子どもが元気に育つと言い伝えられているそうです。

 所在地 下関市中之町1-1

 交通 JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩5分

 問い合わせ 亀山八幡宮 083-231-1323