高杉晋作の墓

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慶応3年(1867)4月14日、明治維新の直前に、下関において結核のため27歳8カ月の短い生涯を閉じました。

 

遺骸は遺言によって奇兵隊ゆかりの地、吉田の清水山に土葬されました。

 

元治元年(1864)12月15日深夜長府功山寺で力士隊、遊撃隊を率いて挙兵のとき死 を覚悟し、大庭伝七(白石正一の弟)に遺書を送ってこの中で、表に「故奇兵隊開闢総督高杉晋作則 西海一狂生東行之墓 遊撃将軍谷梅之助也」、裏には「毛利家恩古臣高杉某嫡子也」と、墓碑銘も指定していたと言われていますが、晋作の希望はかなえられることなく、表に「東行墓」、裏面には「谷潜蔵 源 春風、号東行、慶応三年丁卯四月十四日病歿赤間関享年二十九」と刻まれています。

 

 所在地 下関市大字吉田1184

 交通 JR小月駅からバス14分「東行庵入り口」下車、徒歩11分

 問い合わせ 東行記念館 083-284-0211