虚無僧墓: 酒好きの虚無僧が救った村娘と頭痛封じの伝説

下関市豊浦町川棚中小野にある虚無僧墓は、酒好きで村人から敬遠されていた虚無僧が、山賊から村娘を救い、頭痛封じの御利益があるとされる伝説的な墓です。

虚無僧と村娘

天保年間(1830〜1843)、尺八を吹いては酒ばかり飲んでいた虚無僧は、村人から敬遠されていました。

しかし、ある日、村の娘が山賊に襲われた時、命懸けで娘を救い出したのは、他ならぬこの虚無僧でした。

虚無僧の最期と遺言

弘化3年(1846)、虚無僧は脳病のため苦しみ、川棚川の河原で大きな岩に頭を二度三度ぶっつけて倒れました。

そして、「私の墓を建てて酒を供えてくれれば、あなたたちの苦しみを和らげてあげよう」と言い残して息を引き取りました。

頭痛封じの御利益

村人たちは、虚無僧が頭の痛みを和らげるために酒を飲んでいたことを知り、墓を建てて供養しました。

その後、虚無僧墓は頭痛封じの御利益があると評判になり、現在も多くの参拝者が訪れています。

アクセス情報

  • 所在地:下関市豊浦町川棚中小野
  • 交通:
    • JR山陰本線 川棚温泉駅からバス16分「虚無僧墓」下車、徒歩すぐ
    • JR山陰本線 川棚温泉駅から車で11分
    • 小月I.Cから車で30分
  • 問い合わせ:豊浦町観光協会 083-774-1211

小野小町の墓:美貌と哀愁の伝説

小野小町の墓は、全国各地に存在しますが、下関市豊浦町川棚にあるこの墓は、小町の晩年の流浪生活と哀愁漂う伝説を伝える貴重な場所です。

解説板の物語

解説板には、絶世の美女として名高い小町が、歳月とともに美貌が衰え、自尊心の強い彼女は老いさらばえた姿を見せまいと全国を流浪したと記されています。

晩年、小町は川棚の地で村人たちの温かさに触れ、愛用の銅鏡を片時も離さず、失われていく美貌に無常を感じながらひっそりと暮らし、この地で果てたと伝えられています。

小野小町ゆかりの地

小野小町ゆかりの地は全国28都道府県以上に存在し、ここ小野という地名も小町に由来すると言われています。

墓石の中央にはめ込まれた丸い銅鏡は、小町が肌身離さず持っていたもので、彼女の美貌と哀愁を象徴する存在となっています。

百人一首にも詠まれた美貌

小町の美貌は、百人一首にも選ばれた「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」の歌からも窺えます。

この歌は、花が色あせていくように、自分も年老いていく姿に嘆きを感じているという内容です。

小野小町の生涯

小野小町の生誕地については諸説ありますが、現在の秋田県湯沢市小野が有力とされています。

晩年も同地で過ごしたとする地域の言い伝えも残されていますが、京都市山科区小野で過ごしたとする説もあり、真相は謎に包まれています。

アクセス情報

  • 所在地:下関市豊浦町川棚中小野
  • 交通:
    • JR山陰本線 川棚温泉駅からバス16分「虚無僧墓」下車、徒歩すぐ
    • JR山陰本線 川棚温泉駅から車で11分
    • 小月I.Cから車で30分
  • 問い合わせ:豊浦町観光協会 083-774-1211

まとめ

小野小町の墓は、美貌と哀愁の伝説を伝える貴重な史跡です。

小町の晩年の流浪生活や、失われていく美貌への無常観を感じながら過ごした様子を想像すると、感慨深いものがあります。

ぜひ、この地に足を運んで、小野小町の伝説に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。